監督:李相日 原作:吉田修一 2025年日本
☆☆☆+
まずは、歌舞伎界を舞台とする一代記など、よくぞ映画化したものだと感心させられます。いかに名手・李相日とは言え、極めてハードルの高い挑戦だったと思います。まずは、俳優たちが短期間で一定レベル以上の芸をものにする必要があります。厳しい稽古を何年も重ねたうえで、はじめて舞台に立てるという世界です。一流の俳優は、とてもセンスの良い人たちだとは思いますが、中途半端な芸ではごまかせない本作への出演は、かなり難しかったはずです。また、歌舞伎は、俳優以外にも唄方、三味線方、鳴物はじめ、かなりの人数が揃って舞台が成立します。その大人数が乗る本格的な舞台も必要となります。歌舞伎界の全面協力がなければ本作は成立し得ないということになります。また、本作が一代記であること、舞台上の舞や芝居を見せる必要があることから、かなり長尺な映画にならざる得ないという課題もあります。本作の上映時間は3時間近くなりますが、それでも、十分ではなかったと思います。それをどうさばくかということになりますが、ここはまさに監督の腕の見せ所です。李相日は、流れるようなカット割りと効果的な音楽を用いて映画をまとめています。クリストファー・ノーランの「オッペンハイマー」を思わせるようなさばき方になっていると思います。つまり、自然主義的な演出、あるいは演劇的な芝居を避け、印象的なショットをメリハリをつけて重ねていく手法です。李相日が「悪人」(2010)で見せた演出とは、全くの逆のスタイルであり、ややもすればイメージ映像的になる懸念があります。
ドラマを構成するためには、表情や所作だけで多くを語る演技が求められます。主演の吉沢亮は、芸の習得もさることながら、この点においても見事なものだったと思います。センスの良さを感じました。また、明らかに、梨園で育った寺嶋しのぶの演技、舞踏家の田中泯の存在感が、この映画を引き締めていると思います。一方、李相日映画の常連と言える渡辺謙の起用は微妙です。その手堅い演技は監督を安心させるのでしょうが、歌舞伎役者としてのリアリティからはかけ離れています。また、見上愛は、短時間ながら存在感のある演技をみせていたと思います。ほとんど日本映画を見ないものですから、吉沢亮も、見上愛も、この映画で初めて知りました。なかなかいい俳優もいるもんだと感心しました。
この手の映画では、映画としての広がりを確保するうえで、抜けのあるロングショットの挿入も重要になります。過去の作品からして監督はそれをよく心得ていると思います。ただ、その点が巧みだったオッペンハイマーと比べると、歌舞伎界という設定や時間的制約もあってか、多少、ご苦労されている印象がありました。ショット同様、ドラマ性の限界をカバーする音楽の使い方も重要な要素になります。原摩利彦という人の音楽は見事だったと思います。長唄や囃子にかぶせて違和感なく、押しつけがましくもなく、かつ十分にドラマ性をサポートするという難題を十分にこなしていたと思います。アンビエントやエレクトロニカで活躍する音楽家のようですが、そうしたバックグラウンドが十分に活かされていると思いました。
本作を観て、陳凱歌の傑作「さらば、わが愛/覇王別姫」(1993)を思い出した人も多いはずです。舞台は京劇界でしたが、テーマはあくまでも中国現代史でした。本作には政治的な重さはありません。原作は、2019年に出版された吉田修一の同名小説です。梨園の血縁社会をモティーフとしますが、日本の社会や文化を深掘りしているわけでもなく、あくまでもエンターテイメントと理解すべきなのでしょう。ちなみに、李相日の「悪人」、「怒り」(2016)も吉田修一原作です。初めて李相日の巧みさに驚いたのは「フラガール」でした。大ヒットを記録し、キネマ旬報の年間ベスト・ワンにも選ばれました。ジェイク・シマブクロの音楽も印象的でした。思えば、フラガールでも、フラ未経験の出演者たちが特訓を受けて、見事な踊りを披露していました。ただ、フラガールは素人がダンサーになる話であり、今回は至芸の世界を描いています。まったくレベルが異なります。(写真出典:eiga.com)