2025年3月8日土曜日

夢の酒

和歌山淡島神社
死んだ自分と相対するという落語「粗忽長屋」 は、古典落語のなかで最も奇妙な傑作だと思いますが、それに次ぐほどに奇妙な傑作が「夢の酒」だと思います。若旦那が居眠りをして寝言を言っていると女房に起こされます。何の夢を見てたのかと聞かれた若旦那は、 絶対に怒るなよ、と念を押してから話し始めます。向島へ用足しに行くと雨に降られます。ある家の軒先で雨宿りをしていると、その家に呼び込まれます。そこには若旦那を慕っていたという綺麗な御新造さんがいます。飲めない若旦那ですが、勧められるままに酒を飲んで倒れ、布団を敷いてもらいます。すると御新造さんも布団に入ってる、という夢でした。案の定、怒り狂った女房と若旦那は口論になり、心配した大旦那が仲裁に入ります。

どうにも怒りが収まらない女房は、大旦那に、向島へ行って御新造さんを叱ってくれと頼みます。夢の話だから無理だと言うと、淡島様の上の句を詠めば人の夢の中に入れると言うから行ってくれと懇願されます。大旦那は、渋々、言われたとおりにします。すると不思議なことに、夢の中で、やはり向島の綺麗な御新造さんの家にあがることになります。酒好きの大旦那は、燗酒を所望します。御新造さんは、燗がつくまでのつなぎに冷や酒を勧めます。大旦那が、私は冷や酒はやらない、と断っているところを女房に起こされます。大旦那が、惜しかった、と言うと、女房は、談判する前に起こしてしまいましたか、と聞きます。そこで大旦那が一言、いや、冷やでもよかった。これがオチになっています。

18世紀後半の作とされますが、まるで星新一が書いたショート・ショートかと思うほど奇妙な設定です。淡島様とは、和歌山市にある淡島神社を総本社とする民間信仰、あるいはその祭神を指します。淡島神は、イサナギとイザナミの2番目の子“淡島”とも、大国主の国造りに活躍した少彦名神とも言われます。江戸期には、安産や婦人病など女性に関する諸事に霊験があるとされ、信仰されていたようです。その伝道師となったのが、神棚を背負い祭文を唱えながら市中、特に色町を回ったという淡島願人だとされます。また、淡島様の上の句とされるのが「われたのむ 人の悩みの なごめずば 世にあはしまの 神といはれじ」ですが、やや押しつけがましく、また出所もはっきりしません。民間信仰ならでは、と言えるのでしょう。

この淡島様の上の句は、頼み事はなんでも叶えるという意味だと思われます。他人の夢に入ることも含まれるということなのでしょうが、夢との関係が、どうもよく分かりません。イサナギとイザナミの国産み伝説においては、淡島の前に水蛭子(ヒルコ)が生まれていますが、二人とも障害があったために葦舟に乗せて流されます。その行方に関する伝承はありません。子作りに際し、イザナミから誘ったので障害のある子が生まれた、と神から聞かされた二人は、イサナギから誘うことにします。すると次々に子が生まれ、それぞれが島になって大八島、つまり日本列島が作られるわけです。男尊女卑の匂いプンプンですが、後に淡島神が女性の味方として信仰されたのは、このあたりに基づくものなのでしょう。

向島、御新造さんとくれば、なにやら艶っぽいな、と思うわけですが、それは向島の花柳界をイメージするからなのでしょう。東京六花街といえば、もともと柳橋・芳町・新橋・赤坂・神楽坂・浅草でしたが、後に柳橋が廃れ、向島が入ります。戦前の向島には1,000人を超す芸妓がいたそうですが、今は100人ほどと聞きます。ただ、いずれにしても明治以降の話です。江戸期の向島は、墨堤の桜をはじめ風光明媚で、かつ手近な行楽地として人を集め、料亭も数件あったようです。ただ、花街はなかったわけです。にもかかわらず、艶っぽい話の舞台として向島が選ばれているのは、やはり浮世離れした土地柄だったからではないでしょうか。とりわけ、川向こうというところがポイントなのだと思います。(写真出典:wakayama.goguynet.jp)

マクア渓谷