2025年2月18日火曜日

静謐な部屋

2008年、上野の国立西洋美術館で、アジア初となるヴィルヘルム・ハンマースホイの回顧展が開かれました。恐らくハンマースホイの絵を観るのは初めてだったと思うのですが、とても強い印象を受けました。いつもはギフト・ショップの絵葉書など買わないのですが、何枚か買って、額装して部屋に飾りました。ヴィルヘルム・ハンマースホイは、1864年、コペンハーゲンに生まれています。裕福な家庭に育ったハンマースホイは、8歳でデッサンの個人レッスンを受け、15歳からデンマーク王立美術院で学んでいます。21歳のおり、妹を描いた「若い女性の肖像」でデビューします。当時のデンマーク画壇での評判は芳しくなかったようですが、オーギュスト・ルノアールが賞賛したという話も残っています。

ハンマースホイは、27歳のおり、イーダ・イルステズと結婚し、1898年から、コペンハーゲンのストランゲーゼ30番地のアパートで暮らし始めます。これは、コペンハーゲンで最もよく知られた住所になります。というのも、ハンマースホイは、このアパートの室内を数多く描き、彼の代名詞ともなったからです。ハンマースホイの室内画に人物が登場することは希です。人物が描かれるとすれば、後ろ姿の妻イーダに限られます。また、室内には、生活を感じさせるものはほとんど描かれていません。そこにあるのは、淡く頼りなげな光と静寂な空間だけです。ハンマースホイが描く空虚な部屋は、空虚がゆえに深く語りかけてくるものがあります。それは孤独感ではありますが、決して絶望的ではありません。

北欧の人々は、過酷な自然を恨むことなくそのまま受け入れ、そのうえで微かな幸せと喜びを見いだす性向があるように思えます。いわば北欧的諦観です。それを象徴するのが、ルター派という宗教であり、ジャンテ・ロウという精神風土だと思います。ハンマースホイの絵画は、それら全てを表現しているように思います。淡い光と空虚な空間は、厳しい自然や孤独感のなかだからこそ見いだし得る静寂と安寧なのだろうと思います。そういう意味では、ハンマースホイの絵画は、北欧の精神風土そのものともいえますが、同時に、それは孤独という宿命のなかで生きてゆく人間にとって普遍的なテーマだと言うこともできます。彼の絵画が、当時の芸術家から高く評価され、今になって再評価されている理由がここにあると思います。

国連による幸福度調査などにおいて、北欧諸国は常にトップを占めています。それもそのはずです。国民の収入の半分を税として徴収し、高福祉社会を維持しているわけですから、諸制度の充実度は良くなるに決まっています。一方、幸福感に関する国民アンケートでも、皆が幸せだと答え、世界トップの結果となっています。鬱病やアルコール中毒が多い国柄にも関わらず、こうした結果になっているのは、抑制的な精神風土によるものだと思います。近年、北欧各国で、ジャンテ・ロウに対する批判が高まっていると聞きます。ITによる情報共有、ボーダーレス化が進む世界にあっては、理解できる話です。しかし、わざわざ声高にアンチを叫ばなければならないほど、ジャンテ・ロウは社会に根付いているとも言えます。

私が最もハンマースホイらしいと思う作品は、1905年に描かれた「白い扉、あるいは開いた扉」(写真)です。精緻な描写、空虚な空間の表現も素晴らしいのですが、この絵の主役は画面奥の窓にわずかに差し込む淡い陽光だと思います。北欧の人々の心象風景そのものだと思います。もし、若い頃にハンマースホイの絵に出会っていたとしたら、まったく無視していたのではないかとも思います。北欧の人々が心の奥深くに持っている思いは、世界中の高齢者に共通するものでもあるように思います。つまり、諦めに似た孤独感です。この絵とは別に、お気に入りの一枚があります。「陽光、あるいは陽光に舞う塵」(1900)です。私が最も心地良いと思う光景の一つは、午前中の喫茶店、窓から降り注ぐ陽の光、そのなかで舞う塵、そこに漂うコーヒーとトーストの香り、ピアノ・トリオが奏でるけだるいジャズといったイメージです。この絵は、その穏やかな幸福感を思い起こさせます。(写真出典:ja.wikipedia.org)

マクア渓谷