2025年2月16日日曜日

「ザ・ルーム・ネクスト・ドア」

監督:ペドロ・アルモドバル     2024年スペイン・アメリカ 

☆☆☆☆ー

アルモドバルにとっては初めてとなる英語による映画です。アメリカの作家シーグリッド・ヌーネスの長編小説を原作としています。アルモドバルらしいきめ細かな人間描写、鮮やかな色彩、見事な音楽の使い方、そしてティルダ・ウィンストンの見事な演技と、ヴェネツィア国際映画祭での金獅子賞も頷ける映画になっています。しかし、アルモドバル最良の映画かと言えば、まったく違うように思います。まずはテーマへのフォーカスが甘くなっています。原作に忠実であろうとした結果なのかもしれませんが、いずれにしても妙にブレています。加えて、初めての英語映画で力が入ったのか、映像のハイセンスさがテーマを妙に軽くしている面もあります。

75歳になるアルモドバルは、前作「ペイン・アンド・グローリー」で、自らを重ねるように、老いをテーマにしました。そして、今回は死を扱ったわけです。死に対する恐怖と受容、安楽死を巡る問題、戦場における死、死が近親者にもたらすもの、といった死に関する様々なテーマが語られています。ただ、多様にすぎて焦点がぼけ、全体が薄っぺらく感じられます。安楽死がメイン・プロットではありますが、決して深掘りされることもなく、ティルダ・ウィンストンの演技力ばかりが目立ちます。アカデミー女優のジュリアン・ムーアも、安定感のある演技を見せていますが、いつもどおり平板と言えば平板なところがあります。ある意味、映画が表面的になった理由は、彼女の存在にもあるのかもしれません。

もちろん、アルモドバルですから、レベル以上の出来にはなっているのですが、その薄さがアルモドバルらしくないなと思ったわけです。ただ、徐々に、それこそがアルモドバルがねらったことなのかもしれないと思えてきました。誰にとっても死は避けがたい現実です。とは言え、死の瞬間、死後の世界を経験した人が生きていないので、何一つ分かっていないわけです。そのことが人間にとって大きなストレスになってきました。ゆえに、人間は、太古の昔から、死を恐れ、思い悩んできました。それに応じるように、宗教が隆盛し、安楽死や自死も行われてきました。ちなみに、本作における死は、安楽死かのように描かれていますが、自死以外の何ものでもありません。これもアルモドバルが仕掛けたトリックなのかもしれません。

死に関する思いや議論に正解などないからこそ、いつの世にあっても、重いテーマであり続けているのでしょう。アルモドバルは、死そのものではなく、そうした死を巡る様々な思想や姿勢の有り様に対して疑問を投げかけているように思えます。つまり、誰に対しても平等に一度は訪れる死、避けようにも避けがたい死だからこそ、夜が来ること、雨が降ることと同じく、ごく自然体で受け入れるべきではないかと言っているように思うわけです。それが、老境に至ったアルモドバルがたどり着いた答なのではないかと思います。映画は、主人公の死をもって終わっても良かったはずです。ところが、主人公と不仲だった娘が、初めて母を受け入れ、連帯を確認するシークエンスが蛇足的に続きます。実は、これこそがアルモドバルが言いたかったことではないかと思います。

私の父が「葬式は生きている者たちのために行う」と言っていました。名言だと思っています。アルモドバルは、大事なことは、死そのものではなく、死が生きている人たちに与える影響なのだ、と言っているように思えます。つまり、いかに生きるかということに関わる限りにおいて、死は大きな意味を持つということなのでしょう。逆説的なアプローチの映画と言えますが、アルモドバルの言わんとするところを正攻法で正面から描くとすれば、とてつもなく難しい映画になったはずです。そういう意味で面白い映画を作ったものだと思います。ただし、ヴェネツィアの審査員が同じように思って票を投じたとは思いませんが。(写真出典:warnerbros.co.jp)

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