アルバム名:2nd Collection : Hydeout Productions(2007) アーティスト:Various Artist
トラックメーカーのNujabesが主宰していたHydeout Productionsのレーベル・コレクション第2集です。Nujabesは、本名の瀬場淳のアルファベット表記を逆さにした名前です。残念ながら、Nujabesは、2010年、交通事故で亡くなっています。36歳でした。ただ、今でも高い人気を誇り、海外で再生される回数が多い日本人アーティストとしても知られます。Nujabesは、J Dillaと並んでローファイ・ヒップホップの産みの親とされます。J Dillaも、2006年、32歳で亡くなっています。皮肉なことに、世界中でローファイ・ヒップホップの人気が高まったとき、二人の産みの親は亡くなっていたわけです。一般的に、ローファイ・ヒップホップとは、テンポを緩めにしたヒップホップ系ビートに、チルアウト系の穏やかなメロディを乗せた音楽、つまり、一言で言えば、心地良いリズムとメロディを持つ音楽ということになるのでしょう。自宅で過ごしたり仕事をする時間が増えたコロナ禍にあって、BGMとして人気が高まったと言われます。ただ、J DillaやNujabesが目指したものは、多少、異なるように思います。先鋭化したラップのアンチテーゼとして生まれたという面もあるのかもしれませんが、むしろヒップホップ文化の確立と定着に伴い、様々なジャンルとの融合、化学反応が始まった結果なのだと思います。ラップにメロディを持ち込んだのはローリン・ヒルと言われますが、そのあたりからラップの新たな展開が始まったのではないかと思います。
ローファイは、ハイファイの対義語であり、使っている機器類の精度の低さだけではなく、メロディやリズムの緩さをも意味していると思われます。J Dillaは、サンプリングを駆使して、ラップを新しい次元へとワープさせました。1980年代後半、極めて高価だったサンプラーを入手しやすい価格で販売したのがエンソニックと日本のAKAIでしたお手頃価格のサンプラーの登場は、ラップの世界に衝撃をもたらしたと言えます。独特なリズムを生み出すJ DillaがAKAIのMPCと出会ってローファイ・ヒップホップが生まれます。さらに電子音楽を正確でクリアな音に調整するソフトウェア”クオンタイズ”をOFFにすることで、揺らぎを持ったより人間的で暖かみのある音が誕生します。こういったことが”ローファイ”という言葉につながったのでしょう。
Nujabesに関して言えば、ループやリフの上に、サンプリングよりもオリジナルの印象的なメロディを乗せることが多いように思います。そのメロディ・センスの良さには驚かされます。一体、この人は何を聴いて育ったのか、そのセンスを磨いた音楽は何だったのかということが気になります。調べてみると、すぐに一つの名前にぶち当たります。橋本徹です。編集者、選曲家、DJ、プロデューサーの橋本は、メロウ・ブームの産みの親にして第一人者です。橋本は、出版社に勤務しながら、好きな70年代ソウル、ジャズ、ブラジル系などの音楽を紹介するフリー・ペーパー「Suburbia Suite」を1990年に創刊しています。そこを起点に、DJ、コンピ・アルバムと広がっていくわけですが、その輪の中に美大の学生だったNujabesもいました。
Nujabesは、1995年、21歳の時、渋谷・宇田川町にレコード店を開き、その後、スタジオやレーベルを立ち上げ、自らも音楽制作に入っていきます。2004年には、パリコレでコムデギャルソンの音楽を担当し、TVアニメ「サムライチャンプルー」の音楽制作にも参加しています。生まれた時から多くの洋楽を聴いて育った若者が起こしたムーブメントが渋谷系でした。渋谷系がポップな側面を担い、ジャズやソウルで育った橋本やNujabesたちがメロウ系、そしてローファイ・ヒップホップを生み出しました。いずれも同じ土壌から生まれたわけです。ワールド・ワイドな音楽を聴いて育っただけに、彼らの音楽が国境を越えて広がるのは当然だったのでしょう。ネット環境下で生まれる音楽に国境はありません。Nujabesは、その先駆者でもあったのでしょう。(写真出典:amazon.co.jp)