2025年2月12日水曜日

荒行

寒百日大荒行
過日、家の近くの中山法華経寺へお参りしたら、ちょうど大荒行成満会の日でした。11月1日から行われる寒百日大荒行は、2月10日をもって成満となります。荒行を満行した修行僧たちは、全国各地の自分の寺から駆けつけた檀家や支援者に迎えられ、大荒行成満会を行います。私が行った時刻には、すべての行事が終わっていましたが、境内には多くの檀家の皆さんが残っており、各寺の幟がはためいていました。中山法華経寺の寒百日大荒行は、比叡山延暦寺の千日回峰行、インド仏教のヨーガと並んで世界三大荒行とされているようです。

日蓮宗大本山の一つ中山法華経寺で行われる寒百日大荒行は、午前2時に起床し、水行を午前3時から午後11時まで1日7回、木釼相承と呼ばれる寒風のなかでの読経が朝夕2回、他の時間はひたすら万巻読経と書写行にあてられます。衣服は、寒中にも関わらず白い単衣のみ。朝夕2回の食事は、白粥に梅干一つという厳しさであり、即座に栄養失調に陥ることは間違いありません。まさに死と蘇生の荒行であり、命を落とす修行僧もいると聞きます。百日間の荒行を満行した修行僧は、伝師から秘法を授かり、修法師に任命されます。修法師は、日蓮宗特有の加持祈祷を行うことが許されます。中山法華経寺は、この寒百日大荒行を天正19年(1591)から400年以上に渡って行ってきました。

全宗派を通じて日本で最も厳しい荒行とされるのが、比叡山延暦寺の千日回峰行です。9世紀に相応和尚が始めたとされます。1,200年の間に、満行し大阿闍梨の称号を得たものは、わずか51人。うち2度満行した行者が3人、3度はただ1人です。千日回峰行が、いかに厳しい修行であるかが分かります。千日回峰行に入ると、最初の3年間は、年に一度、100日連続で回峰し、続く2年間は200日行います。深夜2時にスタートし、真言を唱えながら比叡山内の260箇所を拝しながら回る距離は約30km、所要時間は約6時間。回峰ルートを少し歩いたことがあります。狭くて、アップダウンが激しく、木の根がゴツゴツとした厳しい道です。通常、時速5kmは早歩き程度ですが、厳しい道を礼拝しながら回峰するにはトレイル・ラン並みのスピードが求められます。

ひとたび回峰行に入ると、途中で止めることは許されず、離脱は自死を意味します。そのために行者は、首をくくるための死出紐、短剣、三途の川の渡り賃である六文銭、埋葬料10万円を常に携行すると言われます。5年間の回峰が終わると、まさに自殺行為としか思えない堂入りの行に入ります。まずは生前葬を執り行い、その後、無動寺明王堂に9日間籠もります。その間、断食・断水・不眠・不臥という四無行を行い、日に三度勤行し、10万遍の不動真言を唱え続けます。堂入りを満行すると、行者は阿闍梨と呼ばれることになります。6年目は、京都市中へのルートも含めた60kmの回峰を100日、7年目には京都大回り84kmを100日、続いて比叡山回峰30kmを100日終えて満行となります。満行者は大阿闍梨の位を授与されます。

荒行の目的は、死の直前まで肉体を追い込むことによって、一切の罪と穢を滅し浄めて、神仏に近づくことだとされます。釈迦は、6年間の苦行を行いますが、何も得ることが出来ず、放棄します。極端な苦行は真理から遠ざかると理解した釈迦は、体力を回復し、菩提樹の下で瞑想に入ります。8日目、釈迦はついに悟りをひらくことになります。仏教における苦行は、釈迦がたどったこのプロセスを追体験するものなのでしょう。荒行であっても、巡礼であっても、最も重要なことは、自分自身と徹底的に向き合うことなのだと思います。修行中に沸き起こるであろう様々な思いのすべてが煩悩なのだと思います。その一つひとつに向き合い、乗り越えていくことこそが荒行の目指すところなのだと思います。しかし、それは悟りをひらくことを意味するのではなく、悟りの何たるかを知るための修行だと理解すべきなのでしょう。(写真出典:shushoji.jp)

マクア渓谷