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カルタゴ遺跡 |
紀元前9世紀にフェニキア人が開いたカルタゴの建国神話です。古代ローマが勃興する以前、地中海の海上交易を支配していたフェニキア人の賢さと誠実さを強調する物語なのでしょう。フェニキア人は謎の民族と言われます。地中海の覇権を巡って古代ローマと三次に渡るポエニ戦争を戦ったカルタゴは、紀元前146年、ローマに敗れます。カルタゴの再興を恐れたローマは、カルタゴを完全に焼き尽くします。その際に、カルタゴ、そしてフェニキア人に関わる文献が多く失われ、謎の民族となったわけです。フェニキア人は、紀元前15世紀頃から現在のレバノンに都市国家を作り始め、紀元前12世紀頃から海上交易に乗り出します。フェニキア人は、優れた船、航海術、そして商業センスをもって、瞬く間に地中海交易を支配していったようです。
フェニキア人の船は、特産のレバノン杉で作られていました。レバノン杉は、大きくて丈夫で腐りにくいことから、最高の建材・船材として知られます。また、香りが良いことから、神殿などの内装にも好まれました。さらに、その精油には消毒作用や防虫作用、樹液は防虫だけでなく腐敗防止効果もあり、大いに重宝されたようです。フェニキア人は、特産のレバノン杉や貝からとれるロイヤル・パープルの染料の輸出に加え、立地を活かした東西の産物の交易で大活躍したようです。フェニキア人は、アルファベットの原型を作ったことでも知られます。ペルシャの楔形文字とエジプトのヒエログリフを簡素化した子音だけの表音文字は、フェニキア人が、広く交易していたからこそ生まれ、かつ地中海沿岸に広まったと言えます。
紀元前9~8世紀以降、フェニキアは、アッシリア、新バビロニア、ペルシャに支配されますが、交易は続けていたようです。ただ、紀元前4世紀、アレキサンダー大王に滅ぼされ、カルタゴはじめ北アフリカとイベリア半島の植民都市だけが残ります。西地中海の覇権を固めていったカルタゴは、紀元前6世紀から、重要拠点であるシチリアの領有を巡って、永らくギリシャ、およびギリシャ系シチリア人と戦います。紀元前3世紀に起こったローマとのポエニ戦争も、シチリアの領有を巡る戦いから始まっています。海戦に優れたカルタゴと陸の戦いに強いローマは好対照でした。アルプス越えで知られるカルタゴのハンニバル・バルカは、17年間に渡ってイタリア半島を転戦し、ローマを大いに苦しめます。しかし、ハンニバルは勝ちきれませんでした。
最終的にカルタゴはローマの大軍に包囲されますが、ビュルサの丘を中心に要塞化された街は3年間耐え抜いたとされます。灰燼に帰したカルタゴとともに、フェニキア人も霧散します。いかに強大とはいえ商人国家カルタゴは、市民軍を有する軍事大国ローマには及ばなかったということなのでしょう。しかし、同じく商人国家と言えるヴェネツイアは千年の栄華を誇りました。その違いは何だったのか気になるところです。軍事的には、海軍力が強く陸上兵力は傭兵という点はよく似ていると思います。また、政治的にも、貴族や有力者による共和制という面もよく似ています。ただ、カルタゴの首班であるスーフェースは1年任期であり、ヴェネツイアのドージェは終身制でした。つまり、カルタゴの政治は突出したリーダーを好まない内向きな体制であり、ヴェネツイアは政治や外交におけるリーダーシップの重要性を知っていたと言えるのでしょう。(写真出典:worldheritage-mania.com)