2024年11月7日木曜日

Tokyo Film 2024(4)


 「死体を埋めろ」 マルコ・ドゥトラ監督 2024年ブラジル ☆☆

完全なるカルト・ムービーでした。終末、信仰宗教、エクソシズム、動物の死骸処理場等々、カルト好きにはたまらないモティーフのオンパレードです。映画祭のコンペ部門に出品されている映画が、カルト・ムービーとは思いもしませんでした。体系的に調べたわけではありませんが、南米は結構カルト・ムービー好きのような印象があります。南米は、独特で強烈なカトリック文化が支配する世界のように思えます。カルト・ムービーはその反動として根強い人気があるのかもしれません。南米のカルトと言えば、なんといってもアレハンドロ・ホドロフスキーが思い起こされます。彼の映画は、単純なエログロ系ではなく、どこか哲学的で詩的なところがあります。対して、本作は、ひたすら単純なカルト、しかも割とオーソドックスなアプローチが多いように思いました。

「アディオス・アミーゴ」 イバン・D・ガオナ監督 2024年コロンビア ☆☆☆+

1902年、コロンビアでは、千日戦争と呼ばれる泥沼の内乱が終結します。映画は、その直後の混乱期に舞台をとった寓話です。主人公の元革命軍兵士は、故郷の村へ帰ろうとしますが、様々な出来事に遭遇し、その都度、旅の仲間が増えていきます。神話や伝承的ではなく、むしろロール・プレイング・ゲーム的であり、世の東西を問わずゲームで育った若い世代の感性なのでしょう。仲間は、様々な出自、民族、性別を持っています。恐らく、主人公はコロンビアそのものであり、仲間たちはコロンビアの民族的多様性を象徴しているのでしょう。仲間のうち一人だけが途中で離脱します。奴隷労働によるプランテーション経営で財を成した南米特有の富裕層です。コロンビアは、20世紀後半も事実上の内戦状態にあり、その後は麻薬カルテルとの麻薬戦争が続きました。近年、政治的安定を取り戻し、経済的にも南米第3位となっています。民族の融和と融合は、そうした安定を背景に進みつつあるのかもしれません。音楽は、終始、民族的楽団によって奏でられています。これも面白いと思いました。

「ファイヤ―・オブ・ウィンド」 マルタ・マテウス監督 2024年ポルトガル・スイス・フランス ☆☆☆+

ポルトガルのブドウ畑、青い空のもと収穫に追われる労働者たちの牧歌的光景が映し出されます。一日の作業が終わり家路を急ぐ労働者たちでしたが、突然、荒れ狂う雄牛に襲われます。そして、木に登り難を避けた労働者たちのモノローグが静かに始まり、詩劇が展開されていきます。不思議な設定ですが、ポルトガルの貧農が置かれた厳しい状況を象徴しているのでしょう。労働者たちは、生活の厳しさを語り、見いだしたわずかな幸せを語ります。途中、時代が交錯し、革命を鼓舞するラジオ放送も流れますが、状況が変わるわけでもなく一夜が明け、兵士が銃を川に投げ捨てるところで映画は終わります。クリアで見事な映像からは、乾いた空気や土の臭いまで感じられました。とてもユニークな映画体験だと思いました。これが、今年の映画際で私が見た先最後の作品です。終わりにふさわしい詩的な作品でした。


10日間に渡った映画祭は、「敵」(吉田大八監督、2024年日本)をグランプリに選出して終わりました。日本の作品がグランプリを獲得したのは、2005年、根岸吉太郎監督の「雪に願うこと」以来になるようです。ちなみに、現在、国際映画製作者連盟が公認する国際映画祭は14ありますが、東京はアジア開催では最大規模となっているようです。三大国際映画祭といわれるカンヌ、ヴェネツィア、ベルリンに比して、アジア系の作品が多いことが特徴なのだと思います。国際映画祭の開催は、とてもお金のかかるものらしく、安定的開催のためには、国の関与が欠かせないと聞きます。東京国際映画祭も、経済産業省と東京都が共催となっています。とは言え、まだまだ手作り感が多い映画祭でもあり、もう少し予算を増やしてもらってもいいように思います。また、毎年、チケットの争奪戦は厳しいものがあります。映画祭ゆえ限界はあるのでしょうが、もう少し上映回数を増やせないものか、とも思います。

マクア渓谷