2024年11月23日土曜日

「グラディエーターⅡ」

監督:リドリー・スコット  2024年アメリカ・イギリス

☆☆☆

リドリー・スコットが、ラッセル・クロウ主演で「グラディエーター」を撮ったのは2000年のことでした。映画は世界的に大ヒットし、作品賞、主演男優賞はじめアカデミー賞5部門を受賞しています。歴史上の人物を借用したフィクションは、史実の誤認を生みかねないとの批判もありましたが、重厚感を備えた一級の娯楽作品に仕上がっていました。エイリアンやブレードランナーで高い評価を得ながらも低迷していたリドリー・スコットは、グラディエーターで名匠としての名声を確立したと言えます。今般、リドリー・スコットは、四半世紀も経てから、続編などあり得ない作品の続編を撮ったわけです。驚きです。

そのことがグラディエーターⅡという作品の性格を物語っているように思います。時代設定は、前作から2世代後の皇帝カラカラの時代となっています。再び、歴史的人物を配したフィクションになっており、前作の構図を引き継いでいます。一部のキャラクターも前作から継続させることで、辛うじて続編として成立させています。映画全体としては、さすがリドリー・スコットと言える映像やテンポの良さで一級の娯楽作品に仕上がっているとは思います。さはさりながら、前作の重厚感もなく、ストーリーの無理矢理感もぬぐえません。演出は、プロットをこなすことに汲々としている面もあります。今日的な観客の指向に迎合し、アクション・シーンにこだわり、ストーリーは手際よく処理するといった印象も受けました。

そもそもフィクションですから、荒唐無稽なストーリーをとやかく言う筋合いでもないのでしょうが、それでも気にはなります。史実に基づくフィクションの場合、歴史的事実は尊重し、それ以外の部分での製作陣の想像を膨らませるスタイルが一般的です。グラディエーターの場合、フィクションに歴史的事実や人物を都合良く借用する方式です。そのような映画では、歴史に忠実な作品以上に、本物感漂う映像、あるいはドラマの深さなどが求められるものだと考えます。前作は、そこが実に巧みに演出されており、ラッセル・クロウの重厚な演技も効いていたように思います。続編では、やや安易な娯楽性重視の傾向が見え、デンゼル・ワシントンの演技は手堅いとしても、役柄の設定自体に無理があったように思います。

四半世紀ぶりの続編と言えば、デヴィッド・リンチの「ツイン・ピークス」を思い起こします。ツイン・ピークスは、ストーリーも、キャラクターも、キャストも、完全に前作を受け継いでいました。グラディエーターⅡでは、回想シーンでラッセル・クロウの映像が登場し、ルッシラ役でコニー・ニールセン、グラックス議員役でデレク・ジャコビが再演しています。コニー・ニールセンは前作で知名度を上げたデンマーク人女優ですが、近年は、DCコミックス系でのヒッポリタ女王役が当たり役になっているようです。こういう役どころには北欧系の女優が合っているということなのでしょう。ちなみに、マルクス・アウレリクス帝の娘であるルッシラは、歴史上、実弟コンモドゥス帝の殺害を企てたとして処刑されています。

娯楽性追求映画ですが、メッセージ性がないわけではありません。「ローマの夢」とラスト・シーンが象徴的と思われます。映画では、マルクス・アウレリクス帝が夢見たという共和制をローマの夢と呼んでいましたが、パックス・ロマーナ時代の五賢帝の一人であるマルクス・アウレリクスが共和制を目指していたとは思えませんし、史実としても聞いたことがありません。製作陣が意図したのは、プーチン、習近平、そしてトランプといった独裁色の強い指導者たちが幅を利かせる状況にあって、民主主義の復権を訴えたかったのだろうと思います。ラスト・シーンは、ローマの夢が姿を表わしたかのように展開されますが、実に中途半端で意味不明で曖昧な終わり方です。ストーリーとしては、そうするしかなかったのでしょうが、歴史を大いに誤認させる恐れがあります。そもそもローマの共和制と民主主義は大いに異なりますし、パックス・ロマーナは帝政によってもたらされたことも忘れてはいけいないと思います。(写真出典:IMDb.com)

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