2024年10月5日土曜日

チャイ

もともとチャイ好きではありますが、北インドを旅した2週間弱は、毎日、数杯のチャイを飲みました。甘いのでお茶代わりとまではいきませんが、デザートといったところでしょうか。辛い食事も多いインドですから、食後のチャイはありがたい存在でもあります。立ち寄った土産物屋さんでも、バス移動中の休憩所でもチャイをいただきました。そういう時には、必ず青唐辛子のフリットが付け合わせに出てきます。野菜のフリットが、もう一種類付くのですが、何だったのか覚えていません。インド人のガイドさんに、何故、フリットが付くのかと聞いたところ、昔からそうだという答だけでした。恐らく、チャイの甘さをより楽しむためではないのか、と想像します。

インドのチャイが誕生した経緯は、やや悲しい話になります。チャイという言葉は、中国語の茶からきており、もともとインドにはお茶を飲む習慣はありませんでした。中国語の茶の発音は、内陸部で”チャ”、沿岸部では”テ”になるようです。陸路で伝わればチャやチャイになり、海から伝わればテやティーになったというわけです。欧州にお茶が伝わったのは17世紀のことです。オランダの東インド会社が、長崎やマカオで買った茶葉を持ち込みました。お茶は、高価にもかかわらず欧州の上流階級で大人気となります。高価だから人気が出たとも言えます。17世紀末、英国は、開港された厦門を拠点に中国茶の輸入を始めます。 厦門に集積された茶葉の多くが半熟成茶だったために、欧州では紅茶が主流となっていきます。

アジアとの貿易に先鞭を付けたのはポルトガルでしたが、その後、オランダと英国が圧倒していくことになります。17世紀、アンボイナ事件を境に、英国は、オランダに閉め出される形で東南アジアから撤退します。英国としては、インドの植民地化に注力するほかなくなります。18世紀、英国は、アッサム地方で自生する茶樹を発見します。以降、英国は、プランテーションを展開し、より安価な紅茶を欧州に輸出していきます。北部のインド人も紅茶を飲むようになるわけですが、ミルクと砂糖を入れた英国スタイルが基本となりました。ただ、使う茶葉は、品質が悪く出荷できなかったハネもの、あるいは箱の底に残った茶くずに限られました。それをいかに美味しく飲むかという工夫の末に生まれたのがチャイだったわけです。

チャイは、スパイスを入れたミルク・ティーですから、入れ方も面倒なものではありません。ただ、美味しく入れるためには、いくつかのポイントがあります。まずは、茶葉ですが、一般的な紅茶よりも濃く抽出したいので、CTCと呼ばれる茶葉が適しているとされます。CTCとは、Crush・Tear・Curlさせた茶葉という意味で、細かくて丸い形状が特徴です。嬉野の釜煎茶を小さくしたような見た目です。煮出し方も、経験的に言えば、茶葉をミルクに投入して煮るよりも、茶葉とスパイスだけで濃い紅茶を入れ、その後、ミルクを加えた方が、味も香りも立って美味しいと思います。スパイスは、カルダモン、シナモン、クローブ、生姜などです。恐らくホール・スパイスを使うべきなのでしょうが、市販のティー・マサラで十分だと思います。

そして、大切なポイントは砂糖をたっぷり入れることです。チャイは、砂糖を前提に成立している飲み物だと思います。煮る段階で多めに砂糖を入れた方が美味しいと思います。そして、カップに注ぐときには、泡立てるように高いところから注ぐと一層美味しくなります。インドの街ではチャイ屋を多く見かけます。大鍋で煮出したチャイを、使い捨ての素焼きの茶碗で飲みます。衛生的とは言えないので、飲みませんでしたが、やはり高いところから注いでいました。ところで、本場インドで飲んだチャイの味は日本とは違うのかと言えば、さほど変わりませんでした。シンプルなだけに、どこで飲んでも同じとも言えますが、甘さが味を均一にしている面もあるのでしょう。ただ、ズバ抜けて美味しいと思ったチャイがあります。有楽町のバンゲラス・キッチンのチャイです。使っている茶葉が違うのか、入れ方が上手いのかは分かりませんが、とにかく際だって美味しいのです。(写真:バンゲラス・キッチンのチャイ 出典:tabelog.com)

マクア渓谷