2024年10月19日土曜日

オムレツ

モン・サン=ミッシェルの名物と言えば、ラ・メール・プラールのオムレツということになります。このふわふわなスフレ・オムレツを食べずに帰る人はいないのではないかと思います。メレンゲに卵黄を加えて、ふわふわに焼き上げたオムレツですが、さほど美味しいものでもなく、食べ応えもありません。プラールおばさんが、海を渡ってくる巡礼者のために考案したというオムレツは、確かに疲れた人々の胃にやさしい食べ物ではあります。日本にも出店していましたが、コロナ禍のなかで撤退しています。懐かしいと思う人や一度食べて見たい人が訪れたのでしょうが、残念ながら人気店とまではいかなったようです。

オムレツは、基本的に、溶いた卵に塩・胡椒を加えて焼くだけというシンプルな料理です。なかに包み込む具材や上に掛けるソースの違いで、多くのヴァリエーションが生まれ、各国の名物オムレツもあります。じゃがいも・ベーコン・たまねぎを入れたドイツ風、じゃがいも等を入れてひっくり返すことなく厚く焼き上げるスペインのトルティージャ、カニ肉等を入れる中国の芙蓉蛋あたりが有名どころでしょうか。日本には明治期に伝えられたようです。かつては挽肉とたまねぎを具材とし、トマト・ケチャップを掛けたスタイルが最も一般的でした。それが軍隊のレシピとなっていたことから、全国的に広まったようです。近年では、ホテルの朝食等で供される綺麗に焼いたプレーン、あるいはチーズ・オムレツの方が一般的かもしれません。

渡来した料理に手を加えて国民食化するのは日本の得意技ですが、オムライスも、その一つです。1900年、銀座の煉瓦亭がまかないとして作ったという説と、1925年に大阪の大衆洋食屋パンヤの食堂(後の北極星)が発祥という説があります。煉瓦亭は、米等を卵に混ぜて焼くスタイルであり、北極星は、チキンライスにオムレツを乗せケチャップを掛けるというスタイルであり、現在のオムライスの原型と言えます。同様に、芙蓉蛋を日本式にアレンジしたものが天津飯です。その発祥についても、1945年、ラーメン発祥の店として知られる浅草の来々軒に始まったという説、大阪の大正軒が、1920年代に考案したという説があります。いずれにしても、オムライスも天津飯も、日本にしか存在しない洋食と中華料理です。

オムレツケーキも、日本にしか存在しない洋菓子です。最も一般的なものは、薄い円形のスポンジ・ケーキで、生クリームとバナナを包んだものであり、バナナ・ボートとも呼ばれます。スポンジ・ケーキを卵に見立てたわけです。オムレツケーキといえば、フランス料理屋の”自由が丘トップ”という名前ががよく出てきます。1960年代にはメニューにあったという話もありますが、店が廃業しているので、詳細は不明です。しかし、オムレツケーキの元祖は、秋田県のたけや製パンが1955年に発売したバナナボートだと思われます。現在も、定番商品として販売されています。日本で最も売上の多いオムレツケーキは、山崎パンの”まるごとバナナ”だと思われます。これは、1968年にたけや製パンと提携した山崎パンが、同社から移入した商品だと聞きます。

オムレツの起源は、古代ペルシャとも言われるようですが、恐らく古くから世界中に似たような料理があったのでしょう。現在では、世界中でオムレツ、オムレットと呼ばれていますが、フランス語の”omelette”が元になっています。フランス料理としての”omelette”は、16世紀に生まれたとされます。これが現在のオムレツの起源ということなのでしょう。同じ頃、日本でも鶏卵を食べることが一般化しています。江戸期の人気卵料理の一つに「たまごふわふわ」があります。熱いだし汁に卵液を入れて蓋をしふわふわに蒸し上げる料理です。モン・サン=ミッシェルのスフレ・オムレツといい、たまごふわふわといい、どうも卵は、ふわふわにしたくなるもののようです。(写真出典:gnavi.co.jp)

マクア渓谷