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卒塔婆の梵語 |
サンスクリットとは“正しく構成された”という意味だと聞きます。完成度の高い言語がゆえに、宗教の経典はじめ、文学、哲学等々で広く使われていきます。ヒンドゥー教や仏教の伝播とともに、インドはもとより、アジア一帯に広がっていき、各地の言語にも大きな影響を与えたようです。ゴータマ・シッダールタ(釈迦)が紀元前4世紀に入滅した後、弟子たちがその教えを広めていきますが、数百年間は口頭での伝承が行われ、仏典は存在しませんでした。文字は存在していたのですが、教えが人間から離れていくことを懸念した釈迦が文字化を禁じたとされます。口伝に使われた言語は、文語的なサンスクリットではなく、パーリ語などのプラークリットと呼ばれる俗語だったようです。紀元前1世紀頃になると、パーリ語等で仏典が編纂されていくことになります。
4世紀、グプタ朝が北部インドを統一すると、サンスクリット語が公用語とされます。以降、仏典もサンスクリット語で記されていくことになります。釈迦入滅後、弟子たちの間で釈迦の教えの解釈を巡る議論が起こり、部派仏教の時代を迎えます。大雑把に言えば、スリランカを経て南アジアに伝播した上座部、チベット経由で中国へ伝播した大乗に分かれるわけですが、大乗の経典は概ねサンスクリットで記載されていました。最初に仏典を漢訳したのはは、亀茲国の鳩摩羅什とされます。4世紀のことです。使われた原典はサンスクリットではなかったようで、旧訳とも称されます。5世紀以降、入竺求法僧が多くのサンスクリット仏典を持ち帰り漢訳します。最も有名なのが7世紀に入竺した唐の玄奘ということになります。
仏教は、6世紀、百済の聖明王によって日本にもたらされます。その後、遣唐使として入唐した僧たちによって、多くの仏典が持ち帰られ、サンスクリット語も渡来することになります。漢訳仏典には、サンスクリット語の発音を漢字に置換えた音訳も含まれています。従って、日本にも、仏教用語を中心にサンスクリット語の音訳が多く残ります。ウッランバナが盂蘭盆、ナモが南無、ストゥーパが卒塔婆、シャリーラが舎利、クシャナが刹那、また、一般化した言葉の例としては、ダーナが旦那、ナラカが奈落、クサンメがくしゃみ等があります。また、日本語の五十音は、サンスクリット語の音韻配列に基づいているとされます。ちなみに、今でも日本の卒塔婆の上部には、サンスクリット語で「地・水・火・風・空」と書かれています。
馬鹿という言葉は史記に由来するとされます。秦の滅亡を招いた大悪人・趙高は、ある時、自分の味方と敵をはっきりさせるために、宮廷に鹿を連れてきて、これを馬だと言い張ります。趙高は、鹿じゃないですか、と言った役人を皆殺しにします。馬鹿の起源として有名な話ですが、異論もあります。サンスクリット語で愚かを意味するモハの音訳”莫迦”を起源とする説もよく知られています。Google翻訳で調べてみると、馬鹿は、ヒンディー語でムルク、シンハラ語でムーネェ、ネパール語でムルカ、ベンガル語でボカ、インドネシア語でボド、韓国語でパボと言います。確かに、どこか似たような響きがあるようにも思えます。少なくとも、”あか”と”aqua”よりは納得感があります。(写真出典:ohno-inkjet.com)