アジア版NATO構想には、素人でも分かる大きな問題があります。まずは、同盟国の危機に際して軍事力を展開することは日本国憲法に反します。NATOは、そもそもソヴィエト(ロシア)への軍事的抑止力として機能してきました。アジア版では、対中国・北朝鮮・ロシアということになるのでしょうが、中国の反撥は必至です。加えて、中国の横暴に眉をひそめるアジア各国であっても、経済的関係から全面対決は避けたいはずです。世界の覇権を中国と争う米国でも、軍事的対立を明確にすることは避けたいはずです。また、アジア版NATOとなれば、核の問題は避けて通れません。いずれにしても、アジア版NATO構想は、誰もが夢想するにしても、誰もが参加を望まない代物であり、白昼夢のようなものです。
一政治家が夢想している分には許されるとしても、内閣総理大臣が口にすべきことではなく、ましてや検討を指示するなど首相の趣味に税金を使うようなものです。ストレートな軍事同盟を意味していないのであれば、誤解をさけるために別の名称を用いるべきでしょう。実現可能性がほぼゼロですから、今のところ、米中はじめ国際社会は、まったく相手にしていません。いかにスタッフ不足であっても、極めて優秀とされる石破氏がこのような状況を理解していないとも思えません。だとすれば、アジア版NATOを掲げる石破氏の真のねらいは何なのか、と勘ぐってしまいます。アジア版NATO構想の行き着く先には、憲法改正があります。以前から、石破氏は憲法改正論者であり、9条2項「戦力の不保持」を削除すべきと発言しています。
石破氏の発言は、軍事オタクのエキセントリックな発言と受け取られがちです。しかし、安全保障に関わる同氏の考え方は、極めて真っ当だと思います。誤解されるのは、、同氏の発言が、あまりにもストレートに過ぎるからではないかと思います。直接的な表現は、同氏の誠実さ、あるいは不器用さがゆえだと思います。万が一、石破氏が、アジア版NATO構想を憲法改正へのアプローチと考えているとすれば、同氏らしからぬことであり、安倍晋三並みの姑息さだと思います。こと憲法改正に関しては、国民を巻き込み、真っ正面から、時間をかけて議論すべきです。その議論こそが、国を正しい方向へと導き、真の政治を取り戻していくことにつながると思います。自民党も野党も、正面から取り組むべき課題や問題を先送りするばかりでした。それが日本を三流国家へ押しやってきた面があります。
総理を支えるアドヴァイザー不足という点に関しては、日本が直面する大問題の一つが透けて見えます。誤解を恐れずに言えば、官僚の弱体化という現象です。戦後日本の復興・発展を主導してきたのは官僚だったと言われます。日本の優秀な人材が霞ヶ関に集結し、政治とタッグを組んで日本を動かしてきたと言えるのでしょう。しかし、縦割り行政、組織権益への拘泥等が生んだ硬直化は、時代に取り残された官僚組織を生んだように思います。政治主導で、行政改革、働き方改革、悪名の高い内閣人事局などの対策が打たれてきました。それらの理念は間違っていないにしても、結果的には官僚の弱体化を招いたように思います。今や優秀な人材は民間や海外に流れているとも聞きます。官僚の弱体化は、国民にとっても、政治にとっても、不幸なことであることを、自民党は再認識すべきだと思います。(写真出典:hokkoku.co.jp)