2024年10月13日日曜日

「私生活」

監督:ルイ・マル    1962年フランス

☆☆☆+

近年、古い映画の4Kデジタル・リマスター版が、相次いで劇場公開されています。今年、ブリジット・バルドーが90歳を迎えたことを記念して、彼女の映画の4Kデジタル・リマスター版特集が、テアトルシネマ等で上映されました。そのなかの一本、ルイ・マル監督の「私生活」(1962)を見てきました。ブリジット・バルドーは、”BB(ビビ)”と呼ばれます。イニシャルとフランス語の赤ん坊を掛けた愛称です。BBは、1950年代後半から60年代にかけて、世界中で最も人気のあった女優の一人でした。ただ、1973年、40歳を前に引退しています。私が見たBBの映画は、1960年代後半からの2~3本に限られます。あの個性的な顔は一度見たら忘れることはありませんが、どの映画でも同じ顔だったとも言えます。

BBは、俳優でも、歌手でもなかったように思います。時代を象徴するアイコン、あるいはアイドルだったのだろうと思います。演技力や歌唱力の高みを目指そうなど、思ったこともなかったのではないでしょうか。そのことがBBの魅力の本質につながっているとも思います。セックス・シンボル、ニンフ、小悪魔等々といったBBのキャッチ・フレーズは、配給会社とマスコミが作ったイメージですが、これが実に効果的にBBの人気を高め、かつ、ありままのBBを提示するだけで商売ができる仕組みを構築したとも言えます。BBの実体は、金持ちの高慢でわがままなお嬢さんということなのだろうと思います。猫のような顔立ちと不機嫌そうな表情は、いつも世間や周囲に対して”Non”と言っているかのように見えます。

際だって高い自立心、あるいは軽やかな反逆性こそがBBだ、と言ってもいいのでしょう。そういったオーラを持つ女優は初めてであり、それが時代の空気を象徴していたからこそ、BBは大人気になったのだと思います。「私生活」は、BBが女優になった経緯、大人気ぶりとそれが生んだ苦悩といった実生活を下敷きに構成されたフィクションです。ルイ・マルは、実に面白いことを考えついたものだと思いますが、BBのキャラクターに惚れ込んでいたからこそ生まれた発想だとも思います。ルイ・マルもお金持ちの生まれですが、24歳でドキュメンタリー「沈黙の世界」(1956)を撮り、いきなりカンヌでパルムドールを獲ります。1958年には、自費で「死刑台のエレベーター」を撮り、長編映画デビューしています。

「死刑台のエレベーター」は、ジャンヌ・モローの個性的な表情、緊張感を生む手持ちカメラ、マイルス・デイビスの即興演奏による音楽も含め、初期ヌーベル・ヴァーグの傑作とされます。ルイ・マルは、五月革命の際、ゴダールやトリフォー等とともに、過激な言動を行ったことでも知られます。その後、アメリカに渡り、11歳だったブルック・シールズが娼婦を演じて話題となった「プリティ・ベビー」(1978)、ヴェネツィアで金獅子賞を獲った「アトランティック・シティ」(1980)、同じく金獅子賞を獲った自伝的映画「さよなら子供たち」(1987)等を撮りました。幅広い映画を撮ったことで折衷的とも言われるルイ・マルですが、その斬新で巧みな映画文法にはいつも感心させられます。「私生活」も巧みに構成された映画だと思います。

映画の後半は、スポレート・フェスティバルを舞台にしています。スポレートは、ローマの東、ペルージャ県の古い町です。その歴史は、古代ローマにまでさかのぼります。1958年から開催されている”二つの世界の祭典”は、オペラ、映画、音楽、ダンス等幅広いジャンルで構成されます。イタリアを代表する総合芸術祭と言われます。かつて、ビスコンティ、ゼッフィレッリ、ポランスキーといった映画人がオペラの演出を手がけたことでも知られます。一度は行ってみたい芸術祭ですが、チケットの入手、ホテルの確保は至難と聞きます。映画を撮影した頃、芸術祭はまだ始まって数年だったわけですが、ルイ・マルはいいところに目を付けたものだと思います。町が醸す良い風情と芸術祭の興奮が映画を引き立てています。(写真出典:moviewalker.jp)

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