監督:グー・シャオガン 原題:草木人間 2023年中国
☆☆☆+
グー・シャオガンの山水映画の”巻二”ということになります。巻一「春江水暖」は、黄公望の山水画「富春山居図」に基づく初の山水映画であり、歴史的とも言える傑作でした。蘇東坡の詩に始まる巻二「草木人間」は、山水映画としての体裁を持ちつつも、巻一とはまったく異なるアプローチがされています。草木人間とは、草と木の間に人が入る”茶”という漢字を指しているようです。西湖の西に広がる山岳は、中国を代表する緑茶・龍井茶(ロンジンちゃ)の産地として知られます。茶は、自然と人間が一体となって中国の伝統が成立していることを象徴しているのでしょう。巻二は、その茶畑を背景に、仏教の「目連救母」という説話に基づくプロットを展開しています。目連は、釈迦十大弟子の一人です。目連は、幼い頃に死別した母を死後の世界に探します。優しかった母は極楽ではなく餓鬼地獄で見つかります。餓鬼地獄とは、満たされない激しい食欲や欲望に苦しむ地獄です。生前、母は家族を思うあまり良くない事も行い、餓鬼地獄に落ちたのでした。目連は母を救済する手立を釈迦に問います。釈迦は、雨季に民が僧侶に食べ物を施し、僧侶は民に法話を行うことで、餓鬼にも食べ物が行き渡る、と答えます。目連は、釈迦の教えが行われるように努め、ついに母を救済することに成功します。中国版では、目連は、さらに7日7晩読経し続けることで母を生き返らせたとなっているようです。映画では、餓鬼地獄が拝金主義の象徴であるマルチ商法として描かれています。
西湖畔の美しい茶畑の風情とは真逆であるマルチ商法の世界は、地獄絵図として、激しさをもって描かれています。監督の意図した地獄絵図は、力量の確かさもあって、見事に表現されていると思います。地獄絵図の前提の一つは、大衆にとっての分かりやすさだと思います。映画は、その点も十分に考慮されていると思います。ねらいどおりに良く出来たシナリオだとは思いますが、いささかベタに過ぎる演出になっている点が気になりました。ここは痛し痒しといったところなのでしょう。それにしても、現代中国が抱える社会的な病巣を仏教説話に乗せて明らかにするという試みは見事に成功していると思います。その病巣の根源を追求していない恨みは残りますが、検閲の問題もあって、これが限界なのでしょう。
習近平以降、中国映画の検閲は強化されたと聞きます。しかし、それはあくまでも習近平と中国共産党への直接的な批判に限ってのことであり、婉曲的な社会批判は、むしろ緩和されたように思います。監督たちは、ギリギリのところをねらって制作を続け、それが近年の中国映画を面白くさせていると思います。グー・シャオガンは、デビュー作となった「春江水暖」で、深遠なる山河に対する小さな小さな人間の営みという山水画の構図を見事に映画化していました。それは社会問題を糾弾する新たな表現でもありました。今回は、地獄絵図というモティーフを選んだことで、やや山水画の構図が後退した感があります。グー・シャオガンには、山水画の基本に立ち返った巻三を期待したいところです。
現代中国を支配している拝金主義の根源は、改革開放に始まる中国共産党員=官僚による強烈な蓄財欲求にあると思われます。官僚と取り巻きの一部大衆が繰り広げる利潤の追求が、中国のGDPを押し上げた効果も大きいと言えます。沿岸部と地方との経済格差という問題もあります。過日、中国人の友人に聞いた話では、地方の農村でも、蓄財まではできないとしても食うに困ることはなくなったようです。中国らしい極端な政策が功を奏したとも言えるのでしょう。しかし、拝金主義は、餓鬼道そのものとも言え、社会を蝕んでいくものと思われます。文化大革命は、階級闘争の一環として中国五千年の伝統や価値観を否定しました。今、中国が必要とし、かつ早急に対応すべきことは、その復建なのではないでしょうか。(写真出典:moviola.jp)