2024年9月29日日曜日

マナー大国

最近、ネットで、日本はマナー大国である、という記載を見かけます。しかし、マナー大国の意味するところが、よく分かりません。調べて見ると、マナーの良い国、マナーにうるさい国、マナーが数多く存在する国等々、様々な意味で使われているようです。そもそも、マナーは、他人に迷惑をかけない、不快な思いをさせないよう行動することで、お互いが心地良く、円滑に社会的生活を送ろうという知恵だと思います。他者への気遣いということもできます。法律ではないので罰則はありませんが、社会的に認知された習慣として、尊重されるべき行動基準だと思います。強制的なものではなく、あくまでも個人の良識に委ねられる行動とも言えます。

類似した言葉に、礼儀、行儀、エチケット等があります。エチケットは、マナーとほぼ同じ意味で、多少、身近なものを指しているように思います。礼儀や行儀は、儒教が体系化した礼という思想を行動レベルで明確化したものだと思います。礼とは、大雑把に言えば、自然の摂理、神、先祖、他者を敬う、あるいは尊重することで人間社会が治まるという考え方だと思います。いずれにしても、マナーは、その社会における歴史、宗教、風土などに根ざし、また時代によっても変わっていくものだと思います。当然、国によって大いに異なります。ですから、各国のマナーを比較して、良いとか悪いとか論じることに意味があるとは思いません。大事なことはそれぞれの国のマナーを尊重することなのだと思います。

近年、インバウンドのお客さまが増加したことで、それぞれの常識やマナーが交錯する場面も増え、来日した側にも、受け入れる側にも混乱や戸惑いが生じているものと思われます。恐らく、そういった状況のなかで、マナー大国という不可思議な言葉も登場したのでしょう。かつて、アメリカに赴任する際には、アメリカにおけるビジネス・マナーや一般的なマナーを勉強して出かけたものです。短期的な旅行では、そこまでしないことも多いと思いますが、ある程度は知っておくべきだと思います。例えば、イスラム教国へ行ったら、女性は露出の高い服装は避ける、髪はスカーフ等で覆うといった気遣いはすべきだと思います。インバウンド客の皆さんも、ある程度は、日本におけるマナーを尊重いただきたいものです。

とは言うものの、肝心の日本人が日本におけるマナーを守っているかというと、甚だ心もとないものがあります。例えば、交通マナーです。日本では、車の合流地点でなかなか入れてもらえないという状況が起こりがちです。NYでは、ヤクの売人のようなチンピラでも、One by Oneの原則は必ず守ります。電車内のマナーに関しても、結構、腹立たしい思いをさせられます。一番は、弱者に席を譲らない若者たちです。本来、優先席などというものは必要ありません。マナーが悪くなったので、設定せざるを得なかったのでしょうが、多くの場合、まったく優先などされていません。もっとも首都圏だけの現象かもしれません。札幌の地下鉄では、混んだ車内でも優先席は空いていました。空いていれば座っても良いと思うのですが。

また、席を譲られても座らない老人も少なからずいて、若者の勇気をくじいている面もあります。老人には、譲られたら、例え一駅であっても、ありがたく座る勇気が求められます。サッカー日本代表が海外で試合をしたあと、日本人サポーターが客席のゴミをひろう姿が称賛されています。一方で、同じ若者が、電車では席を譲らないわけです。マスコミが、この現象を取り上げたことはないと思います。自分たちも席を譲らないので、問題だとも思っていないのかもしれません。民放は、芸能ニュースなど流す暇があったら、この問題を取り上げるべきと思います。もっとも、民放の性格上、視聴率が上がるならやりますということになるのでしょう。いずれにしても、日本におけるマナーの悪化傾向には、世も末だなと思ってしまいます。ただ、考えてみれば、我々のマナーも、親の世代からは、世も末だと言われていたような気もしますが。(写真出典:ja.wikipedia.org)

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