2024年6月9日日曜日

人間という言葉

鳩摩羅什
「間」という漢字は、なかなか奥深いものがあると思います。なかでも、空間や時間といった時空の広がりを示す使い方と人間という言葉の関係については、昔から気になっていました。人間(じんかん)と読めば、分かる面もありますが、人そのものを指す人間(にんげん)という言葉には、広がりというニュアンスは見い出しにくく、不思議な言葉だと思っていました。人間の持つ精神面の深さを表現しているのか、とも考えましたが、どうもしっくり来ません。そもそも「間」という漢字は門に月と書かれており、門を閉めても、差し込む月の光から、隙間、ひいては間(あいだ)を意味するようになったと聞きます。なんとも風流な話です。時代が進むにつれ、月が日に省略されていったのだそうです。

ただ、語源に関しては異説もあるようです。廟門、つまり墓の門に肉を捧げる儀式から生まれ、隔たりを表したという説です。あの世とこの世を隔てる、ということなのでしょうか。隔たりとは、二つのものが異なること、あるいは異なる度合としての距離、時間、差異の程度等を表します。異なる二つの点やものがあるから、間が生まれると言えます。人間の場合も、厳密に言えば、異なる個体が複数存在すれば人間であり、一つの個体だけならば人なのだろうとも思います。とすれば、人間は、種の総称としての人類と同意と考えられます。ただ、人という言葉も、人類全体を指す場合もあります。そもそも象形文字の人は、形状的には個体で表されますが、当初から種の総体をも指していたのでしょう。

後に、個体と種の総称を区分する必要が生まれ、人間という言葉が誕生したのかも知れないと考えましたが、そうでもないようです。古代中国で人間という言葉が初めて登場するのは、鳩摩羅什が中国語に翻訳した仏典だったようです。鳩摩羅什は、4世紀、亀茲国、現在の新疆ウイグル自治区に生まれた西域僧であり、初めて仏典を中国語に翻訳した人とされます。翻訳された仏典のなかで、鳩摩羅什は、天上界との対比において人の世や世間、あるいは現世を表すサンスクリット語を、人間と翻訳します。6世紀、日本に仏教が伝来した際、人間という言葉も、そのままの意味で入ってきたようです。平安時代の文学においても、同じ意味での使い方がされているようです。

織田信長が愛したという幸若舞「敦盛」では、人間五十年、下天のうちを比ぶれば、夢まぼろしの如くなり、と歌われます。下天は、仏教上、天上界の最下位に位置します。ただ、最下位であっても一昼夜が人の世の五十年に相当するとされます。幸若舞で言う人間五十年とは、人の寿命ではなく、人の世の五十年と下天の一昼夜を比較しているわけです。戦国時代までは、本来的な意味で人間という言葉が使われていたことになります。それが変質したのは、江戸期以降ということになります。どこでその変質が起こったのか、調べてみましたが、よく分かりませんでした。想像するに、江戸期、大衆向けの文学や芝居が隆盛していくなかで、人間という言葉の厳密さも失われていったということなのでしょう。

ちなみに、中国では、現在も、人間という言葉は、鳩摩羅什以来の意味を保っているようです。種の総称には人類が使われ、人という言葉はかなり幅広く多様に使われているようです。話をはじめに戻すと、人間を人の世と考えれば、空間・時間と同様、広がりを示す言葉として納得できます。ただ、別な疑問も沸いてきます。鳩摩羅什が仏典を中国語に訳す以前、中国には人の世や現世に相当する言葉は無かったのでしょうか。中国で甲骨文字が登場するのは、鳩摩羅什からさかのぼること約1,600年前のことです。人の世に相当する言葉も存在していたとしか思えません。似たような言葉があったとしても、サンスクリット語のニュアンス、あるいは仏典の理論上、ピッタリではなかったということなのでしょうか。どうも、人間という言葉はいろいろ気になる存在です。(写真出典:ja.wikipedia.org)

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