2024年6月21日金曜日

クマリ

クマリは、ネパールの生きた女神です。密教の女神ヴァジラ・デーヴィー、ヒンドゥー教の女神ドゥルガーの化身であり、ネパール王国の守護神である女神タレージュ、アルナプルナの生まれ変わりとされます。クマリとは、少女、処女を表すサンスクリット語が語源になっているようです。幼女のうちに選ばれ、初潮を迎えるまでクマリとしての役割を果たします。クマリは、ネパール各地に存在します。ロイヤル・クマリと呼ばれる首都カトマンズのクマリは、実家を離れてクマリ・チョークという専用の館に住みます。クマリは、インドラ・ジャートラーの大祭で主役を務め、国王ですらひざまずくとされますが、日常的には、多くの参拝客に、ティカと呼ばれる額に赤い粉をつける祝福を与えています。

クマリは、仏教、ヒンドゥー教、地元信仰が一体となった不思議な生き神です。日本の神仏習合を思わせますが、ネパールでは仏教とヒンドゥー教の共存の象徴としても機能しているようです。その起源は諸説あるものの、マッラ朝(12~17世紀)時代に始まったようです。ある説では、女神タレージュが、毎夜、人間の姿でトライトキヤ・マッラ王を訪れ、国の繁栄について相談に乗っていました。ところが、ある夜、王が女神に性的な誘いをかけると、女神は激怒し、二度と現れなくなります。後悔した王が彼女の帰還を懇願したところ、女神はシャーキャ族の処女の少女の姿で現れることを約束します。シャーキャ族は、ゴータマ・シッダールダ、つまりお釈迦さまの出身一族として知られます。釈迦とはシャーキャのことです。

クマリが選ばれる基準は、32項目にも及ぶようです。健康状態が良く、血を流したことがなく、病気になったこともなく、傷がなく、歯をまだ失っていない等に加え、子牛のような睫毛、獅子のような胸、鹿のような脚といった外観、穏やかで恐れを知らない性格などが続きます。候補者は、さらにいくつかのテストを受けて、クマリに選定されます。クマリは、世話人たち、選ばれた遊び相手に囲まれて暮らします。クマリは女神ゆえ、誰からも命令や指示を受けることはありません。また、全知全能ゆえ教育を受けることもありません。地面に足をつけてはならないともされます。クマリとしての役割を終えると、生涯年金が支給されるようですが、一切の教育を受けていないことから、社会復帰は難しいとも言われます。

近年、ある意味の近代化がなされ、クマリは家庭教師を付けたり、公立学校へ通うことも認められるようになっているようです。とは言え、人権という観点からクマリは問題視もされているようです。同じことが、チベットのダライ・ラマやカルマパにも言えるのでしょう。人ではなく神だ、と言えばそれまでですが、悩ましいところです。日本の天皇にも同様の問題があります。天皇家は神の子孫とされますが、天皇が明確に現人神とされたのは明治以降のことです。敗戦後、人間宣言をした日本の天皇ですが、基本的人権を有しないという問題があります。法的矛盾だとする意見もあります。慣習法であるという考え方もあるのでしょう。慣習法と成文法の関係は難しい問題ですが、通常、公序良俗に反しない慣習法は、成文法と同じ効力を持つとされます。

天皇制と人権について矛盾を感じないのが日本人の特徴だという意見もあります。つまり、日本は革命によって国体が変わった経験がなく、真の意味で近代的な法治国家になりきれていないというわけです。かつて、家の近所に「クマリ」という名の美味しいインド料理屋がありました。特にナンは絶品でした。店名からしてネパール系の経営者なのだろうと思います。いつも気になっていたのは、クマリという店名です。日本にテンノウやアマテラスという名の飲食店があるとは思えません。ネパールの人々は、総じて信仰心が厚いものと思われますが、店名に生き神の名前をつけるあたりの感覚はよく分かりません。しばしば聖と俗が渾然一体となっている印象を受けるインド・ネパールならではの感覚なのかも知れません。(写真出典:en.wikipedia.org)

マクア渓谷