2024年5月4日土曜日

孟宗竹

30年ほど前のことですが、アメリカ企業と多少ややこしい交渉をしていた際、先方が決着をつけるべく役員を送り込んできたことがありました。当方の上司が、そのアメリカ人を京都旅行で接待し、交渉を有利に運ぼうと考えつきます。今思えば、実に牧歌的で、かつ姑息な策です。そして、その接待役を私が務めることになりました。車を雇って名所を巡り、食事もそれなりのところへ案内しました。ちょうど春先だったこともあり、竹の子料理の名店である長岡京の「錦水亭」にも行きました。長岡天満宮の八条ヶ池にせり出した個室で、朝掘りの竹の子づくしの会席料理をいただきました。長岡京は、古くから竹の子の名産地として知られ、柔らかく、えぐみのない竹の子はとても美味しいものです。

竹の子の刺身など、朝堀りならではの絶品でした。私は大喜びでしたが、気がつくと、アメリカ人たちは困惑の表情を浮かべていました。アメリカ人が竹の子を食べないことは承知のうえでした。ただ、アメリカでもパーム類の芽であるパルミットをサラダに入れて食べることがあるので、竹の子の美味しさも理解できるだろうと思っていました。ところが、生の竹の子には面食らったようです。そもそも竹の子を食べる習慣があるのは、中国、韓国、日本くらいだそうです。竹は、世界中の温帯・熱帯、かつ湿潤な地域に分布しますが、東アジア、南アジアで最も多く見られます。雨の多い日本は竹の北限にあたるようです。竹は、各地にあるにも関わらず、なぜ中国、韓国、日本だけで食べられるか、不思議だと思っていました。

竹の種類は、1,200種以上とも言われるようですが、食用にする竹の子は、モウソウチク、マダケ、ハチク等、ごく数種類に限られるようです。えぐみや堅さの関係なのだと思われます。竹の子を食べる習慣が、中国、韓国、日本に限定される理由は、竹の種類によるものなのでしょう。日本で食べられる竹の子のほとんどは、モウソウチクとされます。モウソウチク(孟宗竹)は、中国原産であり、日本へ伝わった時期と経緯については諸説あるようです。9世紀初頭に長岡京の海印寺に道雄上人が唐から持ち帰った、13世紀に曹洞宗開祖の道元が宋から持ち帰った等の説があります。ただ、孟宗竹が全国に広まったのは18世紀、薩摩藩が藩主の命により琉球経由で持ち込んだからだとされています。孟宗竹という名前は、中国三国時代の呉の官僚・孟宗に由来します。

孟宗は、孝行に優れた人をあげた中国の「二十四孝」の一人としても知られます。賢い母に育てられた孟宗は、出世を果たしていきます。寒中のある日、竹の子が食べたいという母のために、竹林に入り願ったところ、竹の子が地中から現れたと言います。孝行の徳の成せるわざと称賛され、以降、孟宗竹と呼ばれるようになったと伝わります。孟宗竹は、幹も太く、高さも20mを超すこともある大型の竹です。伸ばした地下茎によって繁殖する力が強いことでも知られます。食用だけでなく、竹材としても活用されてきましたが、プラスティック等に押された結果、放置された竹林が増えました。その繁殖力の強さから他の樹木の林を浸食して広がることが問題視されています。

市川市役所の前にある「八幡の藪知らず」は古くから禁足地とされ、人の手が入ることのない森でした。鬱蒼と茂る雑木林のなかには、孟宗竹もあるにはあったのですが、さほど多くはありませんでした。ところが、この20年くらいで、藪知らずは、すっかり孟宗竹の竹林に変わってしまいました。これと同じことが全国の里山で起こっているわけです。孟宗竹の繁殖力には驚かされます。対策を採らないと、広葉樹を中心とした生態系が破壊されていきます。地中に板を埋めることで地下茎の拡大を防ぐことができるようですが、もっと竹の子を食べることも対策になるのではないでしょうか。とは言え、藪知らずの竹の子を収穫して食べるとバチが当たることになるのでしょうが。(写真出典:veltra.com)

マクア渓谷