2024年5月26日日曜日

カルボナーラ

ここ数十年、パスタを作るならアーリオ・オーリオ・エ・ペペロンチーノのただ一択、外で食べるならカルボナーラ・オンリーでした。オリーブ・オイル、にんにく、唐辛子、塩、胡椒だけで作るアーリオ・オーリオ・エ・ペペロンチーノは、シンプルなだけに奥が深く、毎回、微妙に味わいが変わるところが面白いと思っています。日本のカルボナーラは、ベーコン、卵、粉チーズ、生クリーム等で作ります。ベーコンの香ばしさを際立たせたタイプのものが好みですが、滅多にお目にかかれません。ベーコンをしっかり炭化させるから、カルボナーラ(炭焼き)なのだと、勝手に思い込んでいました。そういう説もあるようですが、黒胡椒が炭のように見えることから名付けられたという説が有力なようです。

ローマのカルボナーラ発祥の店で食べたことがあります。本場ではベーコンではなく、グアンチャーレやパンチェッタを使うもののようです。グアンチャーレは豚の頬肉を2~3週間塩漬けにしたものであり、パンチェッタは豚のバラ肉を1ヶ月以上塩漬けにしたものです。貯蔵肉の類いは大好物ですが、豚の塩漬けは獣臭さを感じて得意ではありません。沖縄のスーチカーも苦手です。ローマのカルボナーラは、生クリームなど使わずにパンチェッタ・チーズ・卵・黒コショウだけで作ります。シンプルなだけに獣臭さと塩味が際立ち苦手でした。またローマでは、スパゲッティではなく、マカロニ系のリガトーニを使います。また、チーズは、塩味の強い羊のチーズであるペコリーノ・ロマーノが使われています。

日本のカルボナーラは偽物だと言うこともできるのでしょうが、本場物より、ずっと美味しいと思います。というか、別物なのでしょう。ローマのカルボナーラにインスパイアされた新たなメニューと理解すべきなのでしょう。ローマでカルボナーラを食べながら、日本人の創意工夫の力にあらためて感心してしまいました。では日本式カルボナーラは、どこでどのように生まれたのかというと、これが判然としないようです。戦後、ローマを解放した米兵のために考案された料理であり、それが進駐軍によって日本にも持ち込まれたという説が有力とされます。生クリームは、卵が固まらないように加えられたのだそうですが、恐らくアメリカで始ったことなのでしょう。

だとすれば、日本式カルボナーラはアメリカ料理ということになります。ただ、アメリカで食べるカルボナーラの味は、日本式とも異なります。恐らくベーコンとチーズの違いなのだと思います。いずれにしても、本場物は美味しく、まがい物は不味いということはありません。日本のカルボナーラは、その一つの証明です。それでよく思い出すのが、カバー曲です。原作を超えるカバー曲は数々あります。例えば、ボブ・デュランの「All Along the Watchtower」は、ジミヘンのカバーで有名ですが、ボブ・デュラン自身もジミヘン風に演奏するようになりました。いつかローマでも日本式カルボナーラが人気になるかもしれません。ところで、日本式スパゲティで忘れてはならないのがナポリタンだと思います。

タマネギ、ピーマン、ベーコン等を炒め、トマト・ケチャップで味付けしたナポリタンは、イタリアにはない純国産パスタ料理です。もちろん、イタリアには、トマト・ソースのパスタはあります。ケチャップを使い始めたのは、第二次大戦前、アメリカ軍の戦闘糧食Cレーションのパスタだったようです。日本のナポリタンを開発したのは、横浜ニューグランド・ホテルの総料理長だったとされています。日本へ進駐した米兵がパスタにケチャップをかけて食べる姿を見て、米兵向けに考案したようです。また、日本でナポリタンが普及した背景には、戦後、米国から無償提供された小麦があったようです。デュラム小麦ではなかったので、コシのないスパゲッティが一般化したわけです。それにしても、カルボナーラも、ナポリタンも米兵のために開発されたメニューという点が面白いと思います。米兵が世界に広めた食品も多くあります。文化の伝播は、戦争の一つの側面でもあります。(写真出典:kurashiru.com)

マクア渓谷