2023年12月13日水曜日

コーサ・ノストラ

John Gotti
フランシス・フォード・コッポラ監督のゴッドファーザー三部作(1972~74)は、映画史に残る傑作です。NYにおけるマフィア組織コーサ・ノストラの世界を描く一大叙事詩ですが、それは同時に、病める大国アメリカの自画像でもありました。マフィアは、シチリアに起源を持つ組織です。シチリアは、永らく外国支配を受け、イタリア統一後も中央政府との軋轢が絶えませんでした。マフィアは、厳しい状況下、いわば自己防衛的な意味も含めて形成されたと言えます。19世紀になると、マフィアは、移民によってアメリカに持ち込まれました。遅れてきた移民であったイタリア移民、ことに辺境のシチリアからの移民は、肩を寄せ合って生きていく必要がありました。新天地アメリカでも、シチリア人の環境は厳しかったわけです。

各国の歴史のなかで、反社会的組織が存在しなかったことなどないと思われます。農耕を始めて以来、人間は、原始的な集落から国家に至るまで、実に多様な組織を作ってきました。しかし、そもそも個人と組織は対立する概念です。万民の欲求にすべて応えられる国家や自治体など存在するわけがありません。反社会的組織は、そこを補う形で生まれ、育つものなのでしょう。アメリカ社会が繁栄を遂げた20世紀、社会が抱える矛盾も増大し、アメリカン・マフィアも組織を拡大していきます。ゲーテではありませんが、光が強ければ影もまた濃い、というわけです。また、マフィアは、時に国家、あるいは権力とも互いを補完する形で手を結びます。これも各国の歴史の中でしばしば見かけてきた構図です。

コーサ・ノストラの力の源泉は、暴力に基づく庇護のシステムだと思われます。つまり、上納金を払う限り、ビジネスであれ、悪事であれ、組織がそれを邪魔することも、他の暴力組織、時には行政の介入からも守ってくれるという仕組みです。暴力がベースにあるとは言え、原始的な環濠集落のリーダーと農民との関係と同じであり、一定の縄張りの存在が前提となる点では近代国家にも類似します。1960年代、成長のピークを迎えたアメリカでは、様々な矛盾が社会的対立を生んでいきます。コーサ・ノストラも同様に、1960年代後半から衰退を始めます。政府による暴力組織対策が強化されたことが大きかったのでしょう。1970年に制定された威力脅迫及び腐敗組織に関する連邦法、いわゆるRICO法は政府の強力な武器となりました。

もう一つ、組織の衰退を促したのが、麻薬の蔓延だったと考えます。極端に言えば、戦争のたびにアメリカの麻薬常用者は増えていきます。マフィアの一部も、これを商売にしてきました。しかし、60年代後半のカウンター・カルチャーと泥沼化したヴェトナム戦争が、社会に麻薬を蔓延せました。大都市に限らず全米に市場が拡大し、需要に供給が追いつかない状況が生まれます。新たに生まれた市場の空白は、新たな供給者が埋めていきます。市場の拡大と新たな供給システムが、マフィアの存在意義であった縄張りの意味を失わせ、庇護のシステムが崩壊していったのだと思います。私がNYにいた頃、五大ファミリーのうち最大の勢力を誇っていたのがガンビーノ・ファミリーでした。そのボスはジョン・ゴッティであり、NYマフィア衰退の象徴のような人でした。

1985年、ミッド・タウンの人気店スパークス・ステーキ・ハウスの前で、ガンビーノ・ファミリーのドン、ポール・カステラーノが殺害されます。保守的なカステラーノは麻薬取引を禁じていましたが、これに反対するジョン・ゴッティが殺害を指示し、自らボスの座につきます。繁華街で起きた衝撃的な事件に世間の注目が集まり、ジョン・ゴッティのマスコミへの露出は高まります。マフィアは、都市の闇の中に潜んで生きてきました。ところが、おしゃれなジョン・ゴッティはマスコミへの露出を楽しみ、時の人となります。三度訴追され、全て無罪を勝ち取ったジョン・ゴッティは、テフロン加工されているようだとしてテフロン・ドンとも呼ばれ、大衆の人気を集めます。しかし、最終的には、RICO法によって終身刑になっています。麻薬取引とマスコミへの露出は、ジョン・ゴッティを新時代のマフィアに仕立てますが、それがコーサ・ノストラの衰退につながったとも言えます。(写真出典:usatoday.com)

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