2023年10月15日日曜日

月の光

そもそも音楽のジャンル分けなどは無意味であり、音楽は音楽だと言えます。ただ、聞く前に、その音楽の傾向を知ろうと思えば、なかなか有用でもあります。”クラシック音楽”というジャンルは実に奇妙な命名だと思います。一般的には、17世紀から20世紀初頭にかけてのバロック音楽、古典派、ロマン派を指すとされます。同時代にあっては、クラシックと呼ばれたわけもなく、後世の命名であることは明らかです。ただ、現代に作曲された音楽もクラシックに分類されます。また、作曲家が譜面を書き、宮廷やホールで演奏された音楽に限られることが多く、大衆音楽は除外されます。芸術的、非商業的という言い方もありそうですが、それも曖昧な定義です。歴史ある楽器で演奏される音楽かと言えば、そうとも限りません。

ひょっとすると、クラシック音楽の定義は、音楽の父と呼ばれるバッハが構成した楽理の枠内で作曲された音楽ということにつきるのかも知れません。”クラシック”ではなく、バッハ音楽という呼び方が適切で分かりやすいと思います。バッハ音楽は、優れた作曲家を輩出し、数々の名曲を生み出してきました。バッハ音楽は、石材でしっかりと組み上げられた西洋建築を思わせるものがあります。その音楽は、宮廷、あるいはコンサート・ホールに出入りする特定階層を対象としているとも言え、スノッブなところがあります。素人考えですが、それを大きく変えたのはドビュッシーだったのではないかと思います。ドビュッシーは、決してバッハ音楽を否定した革命家ではなく、あくまでも音楽の解放者だったように思えます。

フランス料理に例えれば、壮麗な宮廷料理をコース料理に展開したエスコフィエに重なるものがあります。20世紀の音楽は、より人間的で、より多様で、より身近なものとして展開していったように思います。個々人のあいまいな感性に訴えるかのようなドビュッシーの音楽は、すべての20世紀の音楽の起源なのではないかとさえ思います。最も良く知られるピアノ曲「月の光」などは、ポップスの曲、ジャズの曲、あるいは映画音楽と言われても何の違和感もありません。ドビュッシーは、しばしば印象派の始まりと言われ、ラヴェル等が後に続きます。20世紀初頭に生まれた印象派音楽は、19世紀の主流であったロマン派音楽へのアンチテーゼとされます。確かに、ドビュッシーはワーグナーの対極と言えます。

バッハ音楽は、その理論的に構成された調和性の高さゆえに急速に普及しましたが、同時に、その制約がゆえに行き詰まっていきます。ロマン派は、そのピークだったのでしょう。ドビュッシーは、音楽形式の否定、長調と短調の曖昧化、非機能和声(モード)、全音音階、不協和音等々を用いて、バッハ音楽を解放したとされますが、それらを音楽理論として説明することは、門外漢にとって至難の業です。ただ、全てのパーツが寸法通りに結合される建築がバッハ音楽だとすれば、ドビュッシーの音楽は近代絵画のように多彩な色を曖昧に塗り重ねて全体を構成しています。例えば、輪郭線の曖昧な筆遣いが絵画の表現力を高めたように、音階を拡張的に使うモードはバッハ的和声を超えた表現を獲得したわけです。

そもそも、モードは、ペルシャ、インド、中国、ジャワ等において、古くから存在していました。西洋でも、古代ギリシャに存在し、バッハ以前の教会音楽でも使われていました。世界の長い音楽の歴史のなかで、バッハ音楽はモードを制限的に単純化することで高い調性を得た特殊な例に過ぎないのかも知れません。ドビュッシーの解放とは、バッハ音楽の成果を踏まえた上での原点回帰とも言えそうです。また、ドビュッシーの音楽は、一人の才能と探究心から生まれたものですが、同時に、時代が生み出した音楽という側面もあると思います。産業革命を経て、市民の時代が到来し、バッハ音楽を育んだ宮廷や教会は力を失いました。また、植民地競争によって、西洋は他文化に対する知見を深めることになりました。ドビュッシーの音楽は、産業革命が生んだと言えば、やや言い過ぎでしょうか。(写真出典:ja.wikipedia.org)

マクア渓谷