2023年10月13日金曜日

ヅケ茶

今年の春は、初鰹が豊漁で、味もいいと評判でした。一方、戻り鰹の漁は控えめとのこと。ただ、ことのほか脂がのっていて、とても美味しいと思います。刺身やタタキを食べると、必ず切れ端が出るものです。私は、それをヅケにしておいて、翌朝、ヅケ茶漬けとして食べます。漬け汁は、醤油・酒・みりんを同量というのがお決まりですが、めんつゆでも十分です。鰹のタタキをヅケにする際には、余った生姜、小ネギ、しその葉といった薬味、さらに胡麻も振りかけ、漬けておきます。翌朝、ヅケ丼にしてもいいのですが、私の好みは出汁茶漬け。わさび、海苔をのせて食べれば、至極の味になります。

子供の頃、ヅケなど食べた記憶がありません。ヅケは、魚介類の保存法だったのでしょうから、港町では必要なかったのかも知れません。学生になってから、鮨屋で、初めてマグロのヅケを食べたように思います。マグロのヅケは、鮨屋と縁が深いと言えます。魚介類の保存法としては、太古の昔から、干すか塩漬けにするかしかなかったのでしょう。稲作が始まると、中国南部の山間部で、なれずしが生まれます。塩と米で乳酸発酵させたなれずしは、雑菌の繁殖を抑えることで長期保存が可能となり、かつ旨味が増していきます。日本には、稲作と同時に伝わったようです。現在も残るなれずしとしては、琵琶湖の鮒寿司や北国の飯寿司があります。江戸期になると、発酵期間を短縮するために酢を使う早ずしが登場します。

食用酢の生産が始まったことが背景にあるようです。当初の早ずしは、箱鮨に酢を振りかけたものだったようですが、後に酢飯に新鮮な魚貝を乗せる江戸前の握り寿司が生まれます。考案者は、両国「與兵衛鮓」の華屋與兵衛、あるいは深川「松之鮨」の堺屋松五郎と言われます。両者とも19世紀前半の創業です。それより100年以上前の18世紀早々、松崎喜右衛門が人形町に「毛抜鮓」を創業しています。ネタを丁寧に酢漬けにし、酢飯とともに、殺菌効果の高い笹の葉に包んだものです。この3店は、江戸三鮨と呼ばれ、江戸の名物だったようで、文献や浮世絵にもしばしば登場しています。なお、毛抜鮓だけは、小川町で「笹巻けぬきすし総本店」として現在も営業を続けています。

当初、江戸前寿司は、棒振りや屋台で提供されていただけに、ネタの足は早く、様々な工夫が凝らされます。酢じめ、湯引きなどとともに、醤油漬けも一般的だったようです。恐らく、これがヅケの直接的な発祥なのでしょう。当時、マグロは扱いにくく、ネタになっていなかったようです。江戸後期、マグロの赤身を湯引きし醤油漬けにして出したところ、大人気となります。以降、マグロのヅケは、定番ネタの一つとなります。その後、冷蔵技術が発達し、物流が改善されると、鮨屋では生のネタが主流となります。各種保存法も、ここで役割を終えたわけですが、マグロのヅケ、しめ鯖、コハダの酢じめ等は今も残ります。保存法としてではなく、風味の良さから江戸前鮨の”仕事”を残しているわけです。

ヅケは鮨由来というわけですが、ヅケ茶に関しては、もともと漁師飯なのではないか、という気もします。伊豆の郷土料理に「まご茶漬け」があります。新鮮なアジをたたきにしてご飯の上にのせ、お茶をかけて、醤油とワサビで味を調えます。漁師が舟の上で食べていたものだそうです。“まご”とは、まごまごしないでかき込め、という意味だとされます。新鮮な食材を使う漁師飯は、簡単で美味いものと決まっています。余談ですが、スーパーの鮮魚売り場には、時折、魚のアラが売られています。安価にアラ汁が楽しめます。スーパーでは刺身の盛り合わせも売っています。ということは、切れ端も出るはずですが、恐らく廃棄されているのでしょう。フードロス削減の観点から、ヅケ丼・ヅケ茶にどうぞ、とでも言って売れば、大人気間違いなしと思うのですが。(写真出典:katsuoya.net)

マクア渓谷