ターバンを巻いたインド人は、ほぼシーク教徒であり、ほぼパンジャブ州民であり、その数はインドの人口13億人のなかでは2%にも達しません。パンジャブは、インドの北西、インダス川とその支流に囲まれた肥沃な土地であり、インド・パキスタン両国にまたがっています。4,500年前には、ドラヴィダ族が、ここにインダス文明を築きました。3,500年前には、インド・アーリア人がハイバル峠を越えてパンジャブに侵入します。その後、ガンジス川流域まで侵出したインド・アーリア人は、今に続くヒンドゥー教ベースのインド社会を形成しました。同時に、自分たちを疫病から守る為に講じた策から、カースト制が生まれます。職業・結婚等に関わる差別は、法的に禁止されたものの、今も大きな問題として残ります。
16世紀初頭、神の啓示を受けたグル・ナーナクがシーク教を起し、パンジャブで布教を開始します。形骸化したヒンドゥー教やイスラム教を批判し、日々の生活を真摯に送ることで神との合一を目指します。ヒンドゥーとイスラムを融合させた宗教改革とも言えるのでしょう。そこでは、カーストによる差別、あるいは男女差別も否定されます。シーク教は、比較的裕福な層に広がったことで、よく教育された優秀な人材を生んできたと言われます。また、イスラム教やヒンドゥー教、あるいはイギリスから攻撃されたことで武装し、結果、優秀な軍人を生んできたとも言われます。恐らく職業選択を自由化したことで、適性の高い優秀な人材を輩出する社会を築いたということなのでしょう。
Netflixで、パンジャブでパンジャブ語を使って制作されたミニ・シリーズ「霧」を観ました。殺人事件をモティーフとする刑事ものですが、テーマとしていたのは宗教と土地に囚われたパンジャブの現状だったように思います。カーストは否定されていても、農業国だけに土地の保有が全てであり、大地主が政治や行政を牛耳っています。親の世代は子の世代のためにと信じて、土地の保有、そして因習の保持にこだわり続けます。肥沃な土地で農業生産の高さを誇り、シーク教徒の多いパンジャブは、もっと開かれた州なのだと思っていました。海外へ出て高い評価を得ているシーク教徒も多くいます。ヒンドゥー中心の国内の環境を嫌って海外へ進出していると聞いていました。実は、封建的なパンジャブから逃れるためだったのではないかとさえ思わされます。
インドが、英国から独立したのは1946年ですが、パンジャブが州としての独立したのは1966年になってからでした。インド新政府が掲げた政教分離という建前が災いしました。英国領時代、英国と戦って獲得してきたパンジャブの独立性はインド政府によって否定されます。8割以上の国民がヒンドゥー教徒という国にあって、少数派は過酷な状況に直面します。対立が続くなか、1984年、黄金寺事件が発生します。シーク教の本山であるゴールデン・テンプルに陣取った分離独立派を、インド政府軍が包囲、殲滅します。双方の犠牲者は、数百人とも千人以上とも言われます。以降、シーク教徒とヒンドゥー教徒は、暴力の応酬を繰り返し、ついには首相暗殺、民航機爆破事件まで起きます。今でこそ、かなりの独立性を確保しているようですが、パンジャブは、内外とも、依然、濃い霧の中なのかも知れません。(写真出典:imdb.com)