2023年8月18日金曜日

「バービー」

監督:グレタ・ガーウィグ       2023年アメリカ

☆☆☆+

(ネタバレ注意)

コメディではありますが、ただのおちゃらけ映画でも、子供用映画でもありません。むしろ15歳以下では理解できない映画だと思います。ピンク色とプラスティックにあふれるアウトフィットにも関わらず、実存主義的なテーマを持つ映画だと言えます。構造のみならず、本作は多くの二元論的モティーフを笑いのなかに散りばめ、押しつけがましくない形でテーマを訴求しています。映画は、メガヒットを記録しました。ノスタルジーだけでも、ピンクだけでも、実存論だけでも、このヒットはあり得ません。糖衣錠のようなもので、観客は口の中で甘さを感じながらも、中身が薬であることを知るわけです。その世界観を成立させたのは、周到に構成された脚本、徹底的な色やセットの作り込み、そしてマーゴット・ロビーの巧みな演技だと思います。

フェミニズム映画と理解する人もいるのでしょうが、それは多少違うと思います。確かに、バービーランドは母権社会であり、ケンたちが持ち込んだ家父長制的な世界は、バービーたちの策略によって排除されます。ただ、バービーが予定調和の世界に疑問を持ち、より困難な現実世界へと入っていくストーリーは、フェミニズムも、家父長制をも超え、人間の成長という普遍的なヒューマニズムを象徴していると思います。同時に、それは、少女たちが、差別的環境を克服しながら大人になっていく過程そのものだ、と監督は言いたいのでしょう。映画はキューブリックの「2001年宇宙の旅」のパロディから始まります。原始人の進化を促したモノリスが、ここでは巨大なバービーとなり、少女たちを目覚めさせます。

幼児が主体だった少女向け人形の世界に登場したバービーは画期的だったのでしょう。ある意味、バービーの登場は、女性を育児や家事労働から解放した革新だったわけです。ただ、その革新性も、あくまでも女性的という枠の中にあり、今となっては、ヴェニス・ベーチで好奇の目を集め、若い女性からはファシストと罵られます。そこで流すバービーの涙、またバービーが死を意識した瞬間に始まる肉体的劣化、あるいはラスト・シーンで人間になったバービーが明るく婦人科健診を受けに行くといったモティーフは、直線的なフェミニズムを超えていると思います。さらに家父長制の世界に目覚めたケンたちが取り憑かれる争いというロジックも併せ考えれば、監督のヒューマニズムという目線が見えてきます。

グレタ・ガーウィグは、「フランシス・ハ」(2012)の主演と脚本で注目され、自らの脚本を初監督した「レディ・バード」(2017)は、アカデミー賞の作品賞・監督賞等にノミネートされました。監督2作目の「ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語」も作品賞にノミネートされています。彼女は、インディペンデント系のマンブルコア映画運動に参加していたことでも知られます。レディ・バードは、夢見がちでプライドが高く、かつナイーブな少女が大人になっていくという自伝的なプロットでした。マンブルコア的な日常的スケッチを積み重ねていく手法が光っていました。バービーでは、作風が変わったようにも見えますが、スケッチを積み重ね、監督の主張を押しつけないスタイルは、グレタ・ガーウィグそのもののように思えます。

バービー人形の発売元であるマーテル社が、制作に参加しているのには驚きました。マーテルの協力なしには成立しない映画ですが、脚本には、マーテルを茶化したり、批判的な部分があります。にも関わらず、ビジネスにはプラスと判断したわけです。マーテルの創業者で、バービーの生みの親として知られるルース・ハンドラーの幻影も登場し、バービーの自立を促します。ちなみに、バービー人形は、1959年に発売されていますが、当初から日本で生産されています。当時の日本の人件費の安さ、着せ替え服を作る繊維産業の存在が背景にありました。日本製品は、安かろう悪かろう、と言われていた時代のことです。ただ、当時としては精巧な人形を米国で生産するにはコストがかかり過ぎたのでしょう。日本製であっても、価格は他の着せ替え人形の1.5倍だったようです。それでも大ヒットし、長く愛されたわけです。(写真出典:oricon.co.jp)

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