2023年8月1日火曜日

グランド・ツアー

 

17世紀の旅行ガイド
国立西洋美術館で「スペインのイメージ:版画を通じて写し伝わるすがた」展を見てきました。どうも版画系は人を集めにくいところがあるようで、会場は閑散としていました。ゆっくり楽しめたこともあり、なかなか良い展示だったと思います。ゴヤ、ピカソ、ダリといったスペインの画家だけでなく、フランスや英国の画家たちの作品も多く展示されています。あらためて感心したのは、18~19世紀頃の旅行記あるいは旅行ガイドの挿絵の完成度の高さです。17世紀から19世紀初頭に、英国に始まり、欧州・米国にまで広がった”グランド・ツアー”ブームの背景の一つには、明らかに旅行記と精巧なエッチングがあったものと思われます。今見ても、十分以上に旅心をくすぐられます。

グランド・ツアーは、規模感の違いはあるものの、昨今の日本の卒業旅行のようなものです。裕福な貴族の子弟が、学業を終えるにあたり、見聞を広げるために欧州を旅しました。家庭教師等が同行し、数ヶ月から数年をかけて回ったようです。単なる観光旅行ではなく、各地で、歴史、政治、語学等を学ぶとともに、上流社会と交流し、洗練された礼儀作法や社交術を会得することも目的だったようです。多くは、フランスに渡り、アルプスを越え、イタリアを最終目的地としたようです。もともと英国人は旅好きとして知られていたようです。島国であること、あるいは多民族がルーツであることも背景にあったのでしょう。さらに言えば、グランド・ツアー隆盛には植民地獲得競争が大きく影響していると思われます。

大航海時代の幕を開けたのは、ポルトガルとスペインでした。15世紀、レコンキスタで、イスラム勢力を駆逐し、強力な王権を確立した両国は、海洋進出を始めます。ただ、地中海は、オスマン・トルコ、ヴェネチア、ジェノヴァに支配されおり、アフリカへ向かうしかありませんでした。大航海時代の始まりです。両国に遅れて絶対王権を確立した英国、スペインから独立したオランダも後に続きます。西欧列強の船は、瞬く間に世界を巡り、その後に起こったことは植民地獲得競争でした。富は、農場からではなく、海の向こうからもたらされることになったわけです。英国の富裕層も、この大きな変化の波に乗っていきます。跡取息子のグランド・ツァーは、教養のためだけではなかったのでしょう。

グランド・ツアーのガイドブックも多く発刊されており、各地の案内だけでなく、事前に学んでおくべきことや準備すべきこと、あるいは心構えも記載されていたようです。近年で言えば、海外留学ガイドのようなものなのでしょう。ところが、旅の実態は、結構、お寒いものだったようです。家庭内で厳しく育成された若者が、家庭教師付とは言え、大金を持って野に放たれたわけですから、何が起こるかは明らかです。18世紀の英国の詩人ホープによれば、グランド・ツアーに行った若者は「すべてを見、何一つ理解しなかった者」となります。要は、各地で英国人だけで群れてパーティ三昧だったようです。ローマでは、お金を落とす上客ながら、コロッセオがどこにあるか知らないまま帰国する、と馬鹿にされていたようです。

その姿は、後の米国人、日本人、中国人ツーリストに通じるものがあるようにも思えます。ただ、英国のグランド・ツアー・ブームは、まったく無駄だったのかと言えば、そうでもないと思うのです。旅先でひたすら遊びまくった若者たちは、後に大英帝国を築いていくわけです。道楽旅の経験は、英国の世界進出という気風を大いに後押ししたのではないかと思います。フランス革命とナポレオン戦争によって、グランド・ツアーは下火となりますが、19世紀には再び活発化します。蒸気船と蒸気機関車が後押ししたわけです。世界の陸地の1/4を征した英国人たちは、さらに遠くまで足を伸ばすようになりました。(写真出典:lotsearch.net)

マクア渓谷