監督:イ・チャンドン 1999年韓国
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韓国映画界を代表するイ・チャンドン監督の出世作です。監督の映画は、2019年に公開された「バーニング」を見たことがあります。村上春樹原作で、やたら評価の高い映画でした。監督の力量の高さは理解しましたが、どうも映画としてはピンときませんでした。1997年のアジア通貨危機の際、韓国はIMF管理下に入り、外貨獲得のためのコンテンツ輸出政策の強化を求められます。昨今の韓国映画界、音楽界の世界的活躍は、その賜物と言えます。本作は、その初期にリリースされた作品あり、以降、国際映画祭の常連となる韓国映画の先鞭になったとも言えます。また、1998年に始まった日韓文化開放後、初の共同制作であり、NHKが制作に参加しています。イ・チャンドンは、大邱の国立慶北大学の学生だった頃、民主化運動の一部を構成する文化人運動の立役者として名を馳せます。光州事件後は、教員として働いた後、小説家としてデビューしています。1993年、パク・クァンス監督の誘いに応じ、脚本家として映画の世界に入り、1997年には「グリーン・フィッシュ」で監督デビューしています。「ペパーミント・キャンディー」には、監督が、民主化運動の活動家であったこと、小説家であったことが色濃く反映されていると思います。光州事件の捉え方、暗喩や伏線の多用もさることながら、時間軸の逆転などは見事なものです。時間軸に関しては、クリストファー・ノーランの「メメント」(2000)を思い起こさせますが、実は、この2本、ほぼ同時期に制作されています。
映画は、全7章で構成され、主人公が「帰してくれ!」と叫びながら鉄道自殺する第1章から、時代を遡っていき、20年前の第7章で終わります。人間は死ぬとき、人生が走馬灯のようによみがえるとも聞きます。2~7章は、死の直前の回想なのでしょう。ラストシーンでは、若い主人公が、20年後に自殺することになる鉄橋の下で涙を流します。あたかも20年後を予見したかのような涙は、ストーリーが循環するような印象を与えています。主人公が回想した人生は、韓国社会の現代史そのものでもあります。主人公が恋を知り、”人生は美しい”と夢見ていた20年前は、独裁者パク・チョンヒが暗殺され、皆が民主化を期待した頃です。しかし、チョン・ドファンが粛軍クーデターを起こし、民主化運動は弾圧され、国軍が国民に銃を向けた光州事件へと至ります。
徴兵された主人公が、暴動鎮圧の際、誤って女子高生を殺害する章が、光州事件を表わします。退役後、刑事になった主人公は、冷酷に民主化運動を弾圧します。これがチョン・ドファン政権時代を表わし、人が変わった主人公は、素直に恋人に向き合うことができなくなっています。刑事を辞めた主人公は、家具店を共同経営し、金の亡者となり、浮気し、浮気され、宗教を毛嫌いします。これが民主化宣言後に誕生したキム・ヨンサム政権時代を象徴しています。そして、主人公は、1997年のアジア通貨危機で全てを失い、自殺へと追い込まれます。興味深い点が二つあります。まずは、光州事件後の民主化運動によって誕生した文民政権を単純な勝利と礼賛せず、むしろ拙速にすぎた経済の民営化に批判的である点です。
そして、主人公に、帰りたい、と叫ばせた時代や対象は何かという点です。純真だった若い頃、あるいはパク・チョンヒ暗殺後のわずかな期間だとすれば、映画は意味を失います。帰りたいと願ったのは、朝鮮のあるべき姿ではないでしょうか。それは、あまりに幻想的な民族主義のように思えます。朝鮮は、他国の侵略や思惑に翻弄されてきました。小中華思想を掲げ中国に隷属した李氏朝鮮、日本による植民地化、東西冷戦の先兵として民族同士が戦った朝鮮戦争、その余波でもある軍事独裁、あるいはIMFによる管理。皮肉にも朝鮮の民族主義は、日本の植民地化によって生まれます。朝鮮の民族主義は、他民族を否定することで成り立つエスノセントリズムだと批判されます。李氏朝鮮が支配思想とした儒教における上下区分の重視が影響しているのでしょう。イ・チャンドンは、民族主義に関する描写を一切していません。この映画を通じて、朝鮮の民族主義をのあり方を問うているのかも知れません。(写真出典:eiga.com)