ばった屋には、缶詰の類いから、欧州ブランド品といった高級品まで、実に雑多な商品が持ち込まれます。当時、ブランド品は、結構、偽物も多く、お互いにそれを承知で取引されていました。値決めは、社長の目利き、販売・転売のしやすさが基本ですが、商品を持ち込む小売業の状況にも依ります。つまり、切羽詰まった状況では、買いたたかれるわけです。時には、ばった屋と商品を持ち込む人との信頼関係から、多少高めの買取価格もあり得ます。社長と雑談していると、よく小売業の方々が、いかにも訳ありといった風情で、裏口から入ってきたものです。私がいても、社長は、平気で商談をしていました。値決めの早さは見事なものです。早さが必要な状況でもありますが、経験と勘の成せるプロの技とも言えます。
商売の基本構図は、仕入値と売値の鞘を抜くことです。目の前で、根源的とも言えるシンプルな商取引が、至ってプリミティブに展開する様に、とても惹かれました。我が家は元々商家です。そのDNAが騒ぐのかも知れません。社長の巧みな交渉術にも感心しました。合理ベースながらも、巧みに脅しや同情を差し込み、有利な値決めを展開します。私が、面白がって交渉を聞いていると、社長は、よく値決めのコツ、流通業界の裏側、商品の見方などを話してくれました。ただ、社長の商売における基本スタンスは、人助け、持ちつ持たれつ、といったものでした。煎じ詰めれば”信用”ということにつきるのでしょう。いかに資金量が豊富なばった屋でも、暴利をむさぼるタイプの店には、いい品物は入ってこないのではないかと思います。
ブランドの模造品は、ばった物、あるいはパッチ物と呼ばれていました。社長も扱っていましたが、品質が高いものに限っていました。当時、中国からは粗悪な模造品、韓国からは精巧な偽物が入っていました。90年代に入ってから、ソウルへ行った際、イテウォン(梨泰院)のブティックに連れて行かれ、鍵のかかった奥の部屋に招き入れられました。紹介のあった客だけを入れる部屋だと聞きました。そこには良く出来た欧州ブランドの模造品が並んでいました。また、眠らない巨大卸売市場街であるトンデムンシジャン(東大門市場)では「本物の偽物あるよ」と声を掛けられ、大笑いしました。ブランドの模造品は、当時も違法でしたが、その後、著作権保護が強化され、少なくとも表面上は見かけなくなりました。
ところで、ばった屋という風変わりな言葉の由来ですが、様々な説があるようです。最もよく聞いた説は、倒産した店がバタバタと商品を処分する様から来ているというものです。他にも、行き当たりばったりの商売という意味、あるいは戦後の闇市で昆虫のバッタのように店を転々と移すことから生まれた言葉という説もあります。いずれにしても、ばった屋は、商売の世界で必要性が無くなることのない業態だと思います。近年でも、食品や日用品を扱うばった屋は見かけますが、小規模ながら何でも扱うばった屋は少なくなったように思います。代って目立つのは、大型のディスカウント・ストアです。天下のドンキホーテも、元はばった屋です。現在は、ばった物ばかりを扱っているわけではありませんが、ばった屋の役割も担っているように思えます。(写真:ドンキホーテの前身となるばった屋「泥棒市場」出典:ppih.co.jp)