2023年6月27日火曜日

「ザリガニの歌うところ」

監督:オリヴィア・ニューマン       2022年アメリカ

☆☆☆

原作は、動物学者のデリア・オーエンズが書いた2018年の小説「Where the Crawdads Sing」です。同書は1,800万部を売上げ、NYタイムスのベスト・セラーに150週ランクインするなど大ヒットを記録しました。日本でも本屋大賞の翻訳部門で第1位を獲得しています。一般的に、アメリカではザリガニを"Crawfish"と呼びます。"Crawdad"はザリガニとは別な生き物かと思いましたが、実は方言なのだそうです。当然、アメリカにも、地方によって呼び方が異なるものが多くあります。例えば、北部では炭酸飲料全般をソーダと呼びますが、南部では全てコーラと言います。物語の舞台は、ノース・カロライナの沼沢地にある架空の町であり、"Mash Girl(沼の娘)"と呼ばれる主人公は、家族が離散し、一人孤独に沼地で育った女性です。

原作の著者デリア・オーエンズは、ジョージア州の沼地で育っています。主人公には、著者とその人生が色濃く反映されているのでしょう。沼地の自然、貧困とDV、差別、自然を愛する女性、彼女の恋、そして殺人事件が織りなす半世紀前の南部の物語です。アメリカ人は、南部の貧困地帯を舞台とする小説や映画が大好きです。ただ、本作は、それらとは色合いが異なり、自然そのものがテーマだと思われます。アメリカの自然の素晴らしさ、それを犯してきた人間という構図が背景にあり、動物も昆虫も必死に生きているという動物学者らしい信念が物語を構成しています。ミステリというよりも、自然がテーマであるがゆえに大ヒットしたのでしょう。なにせ、アメリカ人の大層は自然と共に暮らしているわけですから。

ベストセラーの映画化は、本当に難しいものだと思います。全体像を、そのまま映像化することは不可能であり、制作は何を捨てるかという判断から始まります。ましてや、小説家ではない作者が自らの人生を重ねた原作は、実に多くの要素が複雑に詰め込まれています。原作を読んだ全ての人を満足させることを諦め、むしろ未読の人をターゲットにする方策もありです。ただ、本作は、あまりにも多くの人が原作を読んでいるため、主な読者である女性をターゲットとして制作するしかなかったのでしょう。冒頭から、そのリアリティを犠牲にしたスタンスに違和感を覚えました。自然がテーマなだけに、リアリティは重要な要素ですが、丁寧に描こうとすれば、かなり長尺になり、かつストーリーの展開は困難になります。

評論家からは酷評されながらも、興業的には成功したという事実が、この映画のすべてを語っているように思います。映像は美しく、音楽もスムーズであり、主人公を演じたデイジー・エドガー・ジョーンズの演技も見せます。エンドロールには、テイラー・スウィフトのオリジナル・ソングも流れます。ただ、映画としては中途半端なものになりました。監督のにとって、本作は、長編2作目。デビュー作の「First Match」は、貧しい黒人少女がレスリングを通じて成長してゆく物語でした。原作も脚本も監督自身の作であり、低予算ながらも瑞々しい青春映画でした。SXSWで絶賛され、Netflixが配給しました。今回、プロダクションが、彼女を監督に起用した理由は分かるような気もしますが、恐らく彼女の良さは、オリジナル脚本なのではないかと思います。今後が楽しみな監督の一人だと思います。

それにしても、自然科学系の学者が、殺人事件や法廷場面を盛り込んだ小説を書くというのは、実に興味深いと思います。自らの半生や思想を語るなら、自伝を選択するのが普通だと思います。本作における殺人や法廷劇といったミステリのプロットは、至ってシンプルなものであり、稚拙と言ってもいいかもしれません。恋愛や恋敵といったプロットも、さほど目を引くものはありません。ただ、全体を貫く、自然への愛、あるいはより自然な人間の生き方への憧憬は、力強さを感じさせます。それを、ありきたりな自伝のなかで述べたとすれば、恐らく読者数は、1/1,000程度だったかも知れません。恐らく、動物学者というだけでなく、自然保護運動家としての側面が、この小説を書かせたということなのでしょう。(写真出典:sonypictures.jp)

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