2023年6月16日金曜日

アローン・アローン・アンド・アローン

HI-NOLOGY
ジャズを聴き始めたのは、1969年、中学3年生の頃でした。ジミ・ヘンドリックスやエリック・クラプトンの影響からブルーズやR&Bを聴くようになり、そこでブラスの魅力を知りました。折しも、BSTやシカゴといったブラス・ロックの盛り上がりもあり、またジャズ界では、マイルス・デイビスの「ビッチェズ・ブリュー」がリリースされ、フュージョン化が加速していました。世界的にも、この年、多くのロック・ファンがジャズに流れたと聞いたことがあります。夏頃からは、ジャズ喫茶に通い始め、スイング・ジャーナルを購読し、秋には、人生初のジャズのライブにでかけ、日野皓正クインテットの演奏を聴きました。日野皓正は、白いスーツにレイバンのサングラスをかけ、エネルギッシュに吹きまくっていました。

当時、日野皓正は、渡辺貞夫とともに、日本のジャズ・シーンを引っ張るスタイリッシュなスターでした。1967年のデビュー・アルバム「アローン・アローン・アンド・アローン」、69年のライブ・アルバム「HI-NOLOGY」が、国内外で高く評価されていた頃でもあります。マイルス・デイビスに傾倒したその演奏スタイルは、モダン・ジャズのエッセンスそのものでした。1975年からは、活動拠点をアメリカに移しています。過日、ブルー・ノートで、久々にライブを聴きました。若いメンバーを引き連れ、最近作曲した曲を中心に演奏していました。さすがに往年のエネルギーは感じられませんでしたが、御年80歳とは思えぬ若々しさを見せていました。期待通りとは言いませんが、楽しいステージでした。 

ジャズが誕生したのは、20世紀初頭のニューオリンズだったとされます。日本には、早くも1910年代に伝わり、関西を中心にダンスホールの音楽として人気を博したようです。30年代には、”日本のサッチモ”と呼ばれたトランペッター南里文夫が世界的名声を得ています。スイングの時代を迎えると、ジャズ喫茶も誕生し、ジャズは一層浸透していきます。服部良一等がジャズのブームを作りますが、軍国主義の時代になると敵性音楽として弾圧されます。敗戦後は、一転して、アメリカ文化の流入とともにジャズ・ブームが起きます。米軍のキャンプで演奏していたミュージシャンたちが大活躍します。なかでもジョージ川口、松本英彦、中村八大、小野満が組んだジョージ川口とビッグ4は絶大な人気を誇りました。

進駐軍が去る頃、ジャズはスイングからビバップ、ハードバップへと移り、モダン・ジャズの時代を迎えます。1959年にリリースされたマイルス・デイビスの「カインド・オブ・ブルー」は、よりスリリングなモード・ジャズの世界を開きます。日野皓正は、まさにその洗礼を受けたミュージシャンだったと思います。1942年生まれの日野皓正は、中学時代から、キャンプで吹いていました。タップダンサーでトランペッターだった父親の影響だったのでしょう。弟は、1999年、惜しまれつつ亡くなったドラマー日野元彦です。トコさんの愛称で親しまれた日野元彦は、日本を代表する天才ドラマーでした。日本人離れしたリズム感、多彩なテクニック、何よりもグルーブ感が魅力でした。日野兄弟のコンビは最強だったと思います。日野皓正は、過日のブルーノートでのライブでもトコさんの曲を演奏していました。

フリー・ジャズで鳴らしたピアニスト山下洋輔も、サベサダや日野皓正とともに日本のジャズ・シーンを牽引してきた一人です。過日、山下洋輔のコンサートにも行きました。オーケストラを率いて、ガーシュインの「ラプソディ・イン・ブルー」を演奏していましたが、実に素晴らしいパフォーマンスでした。ただ、ステージ袖へ下がる際、足が少しもつれていました。山下洋輔も81歳。サベサダにいたっては90歳。依然として、皆、ライブ活動を行っています。日本のジャズ界を率いてきた彼らの情熱には、本当に頭が下がります。久々に、日野皓正のメローで都会的な「アローン・アローン・アンド・アローン」を聴きながら、半世紀なんて、アッという間だったな、と思ってしまいました。(写真出典:tower.jp)

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