2023年6月14日水曜日

未来時制

大昔、初めてパキスタン航空(Pakistan International Airlines)に乗った時のことですが、フライト・スケジュールを告げる機長のアナウンスの最後が「インシャ・アッラー」で終わったので、驚きました。インシャ・アッラーは、直訳すれば、アッラーの思し召すままに、ということになります。イスラム教徒と何か約束すると、必ず最後にインシャ・アッラーを添えるという話を聞いていました。日本人の感覚からすれば、約束を守る気があるのかどうか不安になります。ましてや、機長のインシャ・アッラーは、とても無責任に聞こえ、心配になってしまいます。実際のところは、PIAは元空軍の熟達のパイロットを揃えていることで有名な航空会社であり、安全でスムーズなフライトは間違いないのですが。

インシャ・アッラーは、アッラーを称えるために添える言葉であり、さほど意味はないのだろうと思っていました。ところが、なかなかに深い意味を持つ言葉でした。クルアーン(コーラン)のなかで、将来に関することについては、すべてインシャ・アッラーという言葉を添えることが求められています。つまり、イスラム教では、人間の意志よりもアッラーの意志が優先されるので、将来のことに関して、人間が決めるのは不遜だということになります。イスラム社会を規定するイスラム法”シャリーア”は、ムハンマドがアッラーから託された言葉を記すクルアーンとムハンマドの言行録を記したハディースで構成されます。当然、アッラーの言葉であるクルアーンが最も重要なわけです。クルアーンに記載されていることは絶対です。

欧米の列車に乗ると、日本と異なり、車内アナウンスがほとんどないことに驚かされます。NY時代は、通勤にメトロ・ノース鉄道を使っていましたが、メトロ・ノースは、珍しく次の駅を伝えるアナウンスが流れます。当初、そのアナウンスに、とても違和感を覚えました。”The next stop will be Scarsdale”とアナウンスされます。もちろん、意味は通じますが、”will”という助動詞の使い方に驚いたわけです。日本の電車なら”次の停車駅はスカースデール”と言うところです。それを英訳すれば”The next stop is Scarsdale”となります。これはこれで間違いでありません。客観的、確定的な事実を言う場合、例えば、路線図を見ながら言うとすれば正解です。ただ、走行中の電車内では、また状況が異なるわけです。

つまり、次の駅がスカースデールであることは事実ですが、次にスカースデールに停まることは事実ではなく、あくまでも予定です。運転手の意志が関わるので、willが使われるわけです。その違いを日本語に反映させるなら”次はスカースデールに停まるつもりです”となるのでしょう。日本の乗客としては、ふざけるな、必ず停まれよ、と言いたくなります。日本語は、過去形と非過去形しかないと言われます。”停まった”は過去形、”停まる”は非過去形となり、習慣や意志、あるいは未来時制も含まれます。日本語は、動詞の語尾変化や細分化された助動詞を使わず、他の言葉との組み合わせ、あるいは文脈から未来時制を伝えるわけです。外国人が、日本語は難しいとか曖昧だと感じるポイントの一つなのでしょう。

厳格な未来時制は、一神教と関係があるかもしれないとも思いました。ただ、ラテン語にも動詞の語尾変化による未来形があるので、どうも無関係だと思われます。英語は、ブリテン島で、多民族が使うことによって簡素化が進んだと聞きます。簡素化とは、ある意味、数式にも例えられる整然たる体系へと収斂されることでもあります。多民族間でのコミュニケーションでは、簡素であると同時に正確性も一層重要になります。細分化された未来形の助動詞が必要だったわけです。対して、日本語に、未来形がない、あるいは必要なかった理由については、どうもスッキリ納得できる理由が見当たりません。恐らく、同じ見方、感じ方、考え方をする民族の中でのコミュニケーションにおいては、厳密さよりも利便性が優先され、正確性よりも融和性が重視され、結果、他民族から見れば、曖昧さを持った言語が生まれるということなのでしょう。(写真出典:amazon.co.jp)

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