名古屋には、独特の食文化があります。いわゆる名古屋めしは、総じて美味しいと思います。大都市名古屋の影響力も考慮するなら、全国的に普及しても不思議はない食べ物が多いと思います。ところが、なぜか名古屋でしか食べられない代物に留まっています。その疑問を、名古屋財界の重鎮に話したことがあります。すると、なぜ全国に広める必要があるのだ、と言われました。言われてみれば、確かにそのとおりです。名古屋の食文化の背景には、尾張の農民文化があると聞きます。しかし、それだけでは、十分な説明にはなりません。個人的には、名古屋の”お値打ち”意識の高さ、排他性、そして工場労働者の多さが深く関わっているように思います。ま、お値打ちも排他性も、農民文化の特徴だということかも知れませんが。
【ひつまぶし】
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蓬莱軒のひつまぶし |
うなぎの養殖が始まる前、天然うなぎの大小を揃えるために発生する切れ端、あるいは調理の際に崩れた身がもったいないので生まれた食べ方と言われます。また、あつた蓬莱軒は、出前の際に丼が割れるので、お櫃を使うようになったとも言っています。いずれにしても、その発祥には”お値打ち”文化が深く関わっているように思います。太古の昔からあったわけではなく、近世に登場した食べ物なのに、その発祥が諸説あるという点が実に不思議だと思います。(写真出典:tabelog.com)
【味噌煮込みうどん】
初めて味噌煮込みうどんを食べた人たちが、一様に感じる違和感は、麺の堅さです。多くの人が生煮えではないかと疑うようです。味噌煮込み用のうどんは、小麦粉と水だけで作られ、一切塩を使いません。煮込んで熱々を提供することを前提としているので、固めに茹で、かつ塩を使わないということなのでしょう。私が初めて味噌煮込みうどんを食べた際には、色の濃さに比してさほど塩辛くない汁というギャップに驚きました。東北人としては、色が濃ければ塩っぱいと思ってしまいますが、それが裏切られるわけです。塩味は強くないものの、そのコクの深さは絶品です。その源は、言うまでもなく三河名産”八丁味噌”です。岡崎城から八丁の距離にあったことから八丁村と呼ばれた一帯では、古くから豆味噌が造られていたようです。江戸初期、老舗”カクキュー”の創業者である早川久右衛門が、兵糧として作り始めたのが八丁味噌として知られるようになります。大豆、豆麹、塩だけで長期熟成される八丁味噌は、なんといってもそのコク深さが特徴です。八丁味噌を使った味噌煮込みうどんは、甲州の”ほうとう”が起源だとされます。江戸期から家庭で食べられていたようですが、飲食店で出されたのは、明治期の一宮が始まりだったようです。繊維産業で賑わう一宮の女工たちのアイデアだったとも言われます。
味噌煮込みうどんと言えば”山本屋”となりますが、それぞれ独立した会社である山本屋総本店、山本屋本店、山本屋が存在します。経緯は色々あるようですが、全ての大本になったのは、大正期、大須にあった”山本にこみ”だったようです。私が好きなのは、麺がさほど固くない久屋大通近くの”角丸”です。ちなみに、味噌煮込みうどんは、土鍋の蓋を使って食べます。そのため、蓋には穴が開いていません。名古屋に赴任してから知ったことです。(写真出典:maff.go.jp)
(つづく)