監督: ポール・バーホーベン 2021年フランス・オランダ・ベルギー
☆☆+
「ベネデッタ」は、エロティックなエンターテインメント系映画です。17世紀イタリアに実在した修道女がモデルと聞き、間違いなく重厚なアート系なのだろうと思っていました。ただ、いきなりファースト・シーンから、アート系ではないことが判明し、あわてて鑑賞モードを切り替えました。思えば、監督が、ロボコップ、トータル・リコール、スターシップ・トゥルーパーズ等、ハリウッドのエンターテインメント系でヒットを飛ばしてきた人ですから、初めから想定すべき事態でした。舞台となった修道院は、フィレンツェに近いトスカーナ州ペーシャに存在しました。ペーシャは「ピノッキオ」の作者カルロ・コッローディが育った町でもあります。ベネデッタ・カルリー二は、1590年、山岳地帯の裕福な家庭に生まれています。母子の命も危ぶまれる難産の末に生まれたようです。両親は、神に祝福された子として宗教的な英才教育を施し、9歳でペーシャの修道院に入れます。後に正式な修道院になりますが、ベネデッタが入会した頃は私的に運営されるいわば半修道院だったようです。当時、入会希望者の増加に修道院が対応できなかったために、このような半修道院が多く設立されていたようです。入会早々、ベネデッタがマリア像に祈っていると、マリア像が彼女の上に倒れるという事故が発生します。大きな像だったにもかかわらず、彼女は奇跡的に無傷でした。彼女が、自分は特別だと思うきっかけになったのかも知れません。この事件は、映画にも登場しています。
23歳のベネデッタは、神父にキリストの幻視体験を報告します。幻視体験は、何度も繰り返されますが、神父は、神の御業か悪魔の所業か判断できませんでした。1618年、ベネデッタは、就寝中に聖痕を得ます。聖痕とは、磔刑にされたキリストと同じく頭、両手、両足、脇腹に、傷が浮き出ることです。修道会は、ベネデッタを院長にまつりあげます。同時に、ペーシャの教区長の調査が行われ、ベネデッタの幻視は本物であると結論が出されます。さらにフィレンツェの教皇使節による調査も行われます。その際、ベネデッタと見習修道女バルトロメアとの淫らな関係が明らかになります。修道女の肉の罪は重罪です。ベネデッタは、71歳で亡くなるまで半監禁状態に置かれ、幻視や聖痕も疑念が持たれ、認められることはありませんでした。
監督は、ベネデッタ・カルリーニを題材としながらも、実に手際よく、史実とは異なるエンターテインメントに仕立てあげています。同性愛をメインとしつつ、幻視と聖痕には疑問を差し込み、教会の政治的内幕、ペスト等をモティーフとして散らし、都合の良いストーリーにまとめています。大した腕前だと感心させられます。しかし、これでは教会関係者から批判されること間違いなし。事実、宗教団体からの抗議を受け、シンガポールやロシアでは上映禁止になったようです。監督としては、織り込み済みの抗議であり、いい宣伝になるくらい思っていたのではないでしょうか。だとすれば、なかなかの商売上手、ヒット・メーカー魂とも言えそうです。
ベネデッタ・カルリーニが生きた時代、幻視体験や聖痕の報告は多くあったようです。もちろん、ヴァチカンが奇跡と認定するケースなど数えるほどであり、幻視は法悦状態での思い込み、聖痕は自傷が多かったということなのでしょう。キリスト教が教会を持ち、組織化されると、教義的にも、政治的にも権威主義が生まれます。それに反旗を翻したプロテスタントですら、同じ道をたどった面があります。いずれの宗教でも、ことは同じです。権威主義が横行すれば、原理主義運動などの反権威の動きも生まれます。権威に対抗する策の一つは笑いです。この映画にも、笑いの要素が入っていれば、思想的なスタンスが明確なアート系作品になっていたかも知れません。(写真出典:en.wikipedia.org)