2023年3月11日土曜日

Gentle on My Mind

John Hartford
1966年にジョン・ハートフォードが作曲し、翌年、グレン・キャンベルが歌って世界的大ヒットとなった「Gentle on My Mind」は、20世紀を代表する名曲の一つです。グラミー賞はじめ、多くの賞を総なめにしました。2001年までのデータですが、ラジオで最も多く放送された曲としては、ビートルズの「Yesterday」に次いで第2位となっています。切なさ、優しさ、懐かしさが絶妙に入り交じるカントリー&ウェスタンの名曲です。カントリーの曲には、自己憐憫の要素が多く、この曲なども代表格です。愛する女性を置いて旅に出た南部男が、彼女を恋しく思いながら歌う、といった内容です。男が旅に出た理由が語られることはありません。そんなに彼女が恋しいのなら、旅に出るなよ、と言いたくなります。

グレン・キャンベルは、同じ年にリリースした名曲「By the Time I Get to Phoenix」も大ヒットさせ、その年のグラミー賞をダブル受賞するという快挙を成し遂げています。早朝にだまって女性のもとを去る男の移動距離、そして突然恋人に去られた女性の一日の時間経過を重ねた傑作です。Gentle on My Mindと同じく、置き去りにした女性を愛しく気遣う男の心情が歌われています。ここでも、旅に出る理由が語られることはありません。南部男は、何かに呼ばれたかのように放浪の旅に出ます。その理由は、移民の国だから、カウボーイの遺伝子があるから、南北戦争に敗れた貧しい南部だから、アメリカは広い国だから、等々と考えられますが、はっきりしません。いずれにしても、どこか現実逃避的な色合いがあります。それが自己憐憫にもつながっているのでしょう。

カントリーとブルー・グラスの歌手で、バンジョーとフィドルの名手としても知られるジョン・ハートフォードは、素朴な歌い口、あるいは控えめで田舎くさい性格もあって、皆に愛されたミュージシャンでした。名曲Gentle on My Mindを作曲しながら、グレン・キャンベルの影になる傾向があったことも、愛された理由の一つかも知れません。グレン・キャンベルのGentle on My Mindは、なめらかな美声で、感情豊かに歌われます。一方、ジョン・ハートフォードは、バンジョーと砂をまいたベニヤ板の上でのタップというブルー・グラス・スタイルで、素朴に淡々と歌います。いずれも素晴らしいのですが、ジョン・ハートフォードの歌声は、女性への思いだけではなく、南部の空気感や生活感といったものまで感じさせます。

映画「ドクトル・ジバゴ」を観てインスピレーションを得たジョン・ハートフォードは、直後、わずか2~30分でGentle on My Mindを書き上げたと言います。名曲の誕生というのは、得てしてそんなものなのでしょう。巨匠デヴィッド・リーン監督の「ドクトル・ジバゴ」は、1965年末に公開されています。ノーベル文学賞も受賞したボリス・パステルナークの原作は、ロシア革命の混乱に翻弄される恋人たちの生涯を描いています。映画も3時間を超える大作でした。モーリス・ジャール作曲になるドラマチックな「ララのテーマ」も大ヒットしました。しかし、いかにもロシアらしく重々しいドクトル・ジバゴと南部の空気感漂うGentle on My Mindでは、あまりにも違いが大きく、インスパイアされたと言ってもピンと来ません。

Gentle on My Mindには、セントルイスで育ち、ミシシッピ川をこよなく愛したジョン・ハートフォードの記憶のなかの光景、あるいは失われつつある南部の風情が歌い込まれています。旅に出た南部男が女性を恋しく思う歌ですが、実は、本当に恋しかったのは、女性以上に、心にやさしく残る南部の情景だったのかも知れません。ドクトル・ジバゴは、ロシアそのもの描いているとも言え、かつ腹違いの兄がユーリ・ジバゴを回想するという形をとっています。回想が持つ優しさと甘酸っぱさが、ジョン・ハートフォードを刺激し、南部を懐かしむ歌を書かせたのかもしれません。かつての南部の情景がいつも心にあったからこそ、瞬時にこの名曲を書き上げることが可能だったのだろうと思います。(写真出典:stlouiswalkoffame.org)

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