2023年3月13日月曜日

牡丹灯籠

「四谷怪談」、「皿屋敷」、「牡丹灯籠」は、日本三大怪談と呼ばれます。お岩さんの「四谷怪談」は、1825年に初演された鶴屋南北の「東海道四谷怪談」が有名ですが、その100年も前からよく知られた噂話だったようです。お菊さんの「皿屋敷」は、播州皿屋敷と番町皿屋敷が有名ですが、18世紀初頭から各地で広まった話を元に、歌舞伎や浄瑠璃として上演されたようです。姫路城内には、お菊さんが身投げしたとされる井戸も残っています。一方、お露の「牡丹灯籠」は、不世出の大落語家と言われる三遊亭圓朝が、江戸末期に創作した落語です。明代の怪奇小説「剪灯新話」を底本として17世紀に出版された浅井了意の「御伽婢子」に、江戸の奇っ怪な噂などを加味して、創作されたと言われます。

圓朝の「牡丹灯籠」は全22章、全巻を通しで演じれば、30時間は下らないという壮大なドラマです。近年、”通し”と称して演じられているのは、5~6時間に短縮されたバージョンです。一般的に怪談「牡丹灯籠」として知られる話は、お露・新三郎が登場するごく一部分だけを、短めの噺にまとめたものです。浪人・新三郎と旗本の娘・露は、互いに惹かれますが、内気な新三郎は、お露に会いに行けません。新三郎は、お露が恋煩いで死んだと聞かされます。ところが、夜ごと、侍女のお米を従え、お露は新三郎を訪ね、逢瀬を重ねます。お露が亡霊だと分かると、新三郎は、和尚からもらった魔除け札を家に貼り付けます。家に入れなくなったお露は、新三郎の店子の伴蔵に金を渡し、御札を外させます。翌朝、気になった伴蔵が、新三郎の家に行くと・・・。

元ネタとなった「剪灯新話」の「牡丹燈記」は、現在の寧波が舞台です。妻を亡くした喬生は、牡丹飾りの灯籠に照らされて歩く娘に惹かれます。喬生は、湖西に住むというその娘と近づきになり、娘は、伴をつれて喬生の家に通うようになります。喬生の家の話し声を訝った隣家の老人は、喬生が骸骨と抱き合う姿を見ます。それを告げられた喬生は、湖西へ行き、寺で娘のものと思しき棺桶を見つけます。怯えた喬生は、法師から朱符をもらい、家に貼り付けます。すると娘は現れなくなります。ひと月ばかり後、酒に酔った喬生は、うっかり湖西の寺の前を通ります。すると娘の伴の少女が現れ、喬生を寺に連れ込みます。そこには娘が待っており、薄情なお方、もう帰しませんよ、と言って棺桶のなかに喬生を引きずり込みます。以来、雨の夜に伴を連れて散歩する二人の姿が見かけられるようになります。

話は、その後の悪霊退治へと続きます。上田秋成の「雨月物語」(1776)も、「剪灯新話」を下敷きにした話が多いと聞きます。代表的なエピソードである「蛇性の婬」などは、まさに「牡丹燈記」が底本と言えます。溝口健二監督がヴェネツィア国際映画祭で銀獅子賞を獲得した「雨月物語」(1953)も、「蛇性の婬」と「浅茅の宿」を組み合わせたものでした。日本で人気の怪談と言えば、恨みを抱いて死んだ女性の霊が主役と相場が決まっています。「牡丹灯籠」や「蛇性の婬」などは、極めて珍しいパターンだと思いますが、それもそのはず、舶来品だったわけです。娘盛りで亡くなった「牡丹燈記」の娘・麗卿はこの世への未練が残り、お露は新三郎への未練が残ります。未練も恨み同様ややこしいものです。

牡丹灯籠に関しては、気になることがあります。有名な「カラン、コロンと闇夜に響く下駄の音」という一節は、お露が新三郎の家を訪ねてくるくだりのものです。その際、お露を先導するお米が提げているのが、縮緬細工の牡丹芍薬などをあしらった燈籠、つまり牡丹灯籠というわけです。その当時、女性用として流行ったものだそうです。灯籠と言えば神棚か庭など屋外に据え付けてあるものであり、室内の灯りは行灯、夜道を行く際に提げる灯りは提灯と言います。牡丹灯籠は、手提げですから、牡丹提灯と言うべきところではないかと思うわけです。提灯とは、読んで字のごとく、手に提げる灯りという意味ですが、同時に折りたためる灯りの総称でもあったのでしょう。牡丹をあしらった灯りは、折りたためないので灯籠と言ったのではないでしょうか。(写真出典:ja.wikipedia.org)

マクア渓谷