1880年代早々には、組踊を演じる粗末なむしろ掛けの小屋が登場していたようですが、1891年に、常設劇場としての仲毛演芸場が開場されます。以降、次々と常設小屋が誕生し、そこで沖縄芝居が生まれていったようです。不思議なことに、歌劇よりも方言台詞芝居の方が先にブレイクしたようです。その背景には、1896年に初めて沖縄で公演された壮士芝居が大人気だったことがあるようです。その影響を受け、より写実的で、ウチナーグチで演じられる方言台詞芝居が急速に広がっっていきます。演目は、とっつきやすい時代劇が多かったようです。一方、歌劇は、1900年以降、一幕物として登場し、次第に長尺化していきます。伴奏者ではなく演者自身が歌うように変えたことが人気を集めた要因だったようです。
当時作られ、今でも人気を集める三大歌劇というものがあるようです。身分違いの悲恋を描く「泊阿嘉」、妻子ある男にだまされた女の怨念を描く「伊江島ハンドー小」、身分違いの男との間に子を設けた女が身をひく「奥山の牡丹」です。いずれも女性が主人公の悲劇です。やはり女性を中心に人気を集めたようです。封建的だった時代の女性の地位を反映しているのでしょう。ただ、沖縄俗謡の「19の春」も同じですが、琉球の歴史と現状を悲劇的な女性になぞらえているような面もあるように思えます。この3曲に、今回観た「薬師堂」を加えて、四大歌劇とする場合もあるようです。ただ、身分違いの恋を描く「薬師堂」は、男の立身出世によってハッピーエンドを迎えます。
歌劇は、情感あふれる場面、滑稽な芝居と、テンポ良く展開されます。ウチナーグチの歌と台詞が、実に小気味よいのですが、字幕なしではほぼ理解できません。沖縄の言葉は、本土と同じ日琉語族に属します。定義如何ではありすが、沖縄の言葉は方言ということになります。ちなみに、日本の言語としては、日琉語族以外に、独立した言語としてのアイヌ語があります。戦前の軍国主義の時代、沖縄でも皇民化運動とともに方言撲滅運動が展開されます。ウチナーグチが否定されることで、沖縄芝居も弾圧されます。戦後、アメリカが軍政を敷くと、沖縄芝居は沖縄独自の文化として奨励されることになりました。恐らく、日本本土との関係を断ち切り、統治を進めやすくするための文化政策だったのでしょう。
組踊や端踊は、中国からの冊封使をもてなすために演じられたと言われるわけですが、素朴な疑問として、薩摩の役人に対しても同じことが行われたのかということが気になります。どうやら、組踊に替えて「唐躍」が演じられていたようです。現在では、ほぼ消滅した唐躍は、中国劇を琉球風にしたもので、中国語で演じられたと聞きます。うがった見方かも知れませんが、薩摩に対して、中国との関係を見せつけ、牽制することが目的だったのではないでしょうか。一方で、中国の冊封使に対しては、日本との関係の深さを強調するために組踊を見せていたと思われます。独立した王国でありながら、薩摩の実効支配を受け、中国にもに対しても冊封関係を維持するという琉球王朝の微妙な立場を反映しているように思います。(写真出典:ntj.jac.go.jp)