最初に降った御札は、風に飛ばされたものだった可能性もありますが、以降の降下御札は、ほぼねつ造だったと思われます。実際、御札を降らせた張本人が捕まったケースも記録されています。問題は、その動機です。いわゆる愉快犯の類いかもしれませんが、大騒ぎを起こす目的が、まったく不明瞭と言わざるを得ません。少なくとも、百姓一揆のように何かを訴えているわけではありません。また、倒幕派による世情攪乱工作という説もありますが、効果も限定的で、かつ証拠にも欠けます。信仰強化とも考えられますが、方法が異様に過ぎます。とすれば、神仏にかこつけ、仕事をさぼり、人の金で飲み食いし、大騒ぎして、憂さを晴らしたいという単純な理由だけが残りそうです。
目的が明確でないので、組織性も認められていません。騒ぎの中で、何らかの役割を担う者もいたのでしょうが、自然発生的であり、組織化されたものではなさそうです。興味深いことに、御札が降ると、多くの場合、奉行所等の役所に報告され、神事が許可されています。各地のええじゃないかは、数日から1週間程度で収束していますが、役人が沈静に当たっていたようです。もう、よかろう、というわけです。これは限りなく祭事に近い扱いだったと思うしかありません。もちろん、各地には、村祭りが存在し、日常=ケですり減ったエネルギーは、非日常=ハレとしての祭で再充填されていたはずです。通常のハレとケのサイクルでは対応できない状況が存在し、役人は、無意識に臨時的なハレが必要だと思ったのかもしれません。
別な言い方をすれば、常とは異なる状況が、民衆をさいなんでおり、放置すれば一揆につながる懸念があったわけです。ええじゃないかが発生する前年の1866年には、一揆や打ちこわしが頻発しています。背景にあったのは、黒船ショックとも呼ばれるハイパー・インフレでした。1858年の開港に伴い交易が開始されますが、幕府に為替をコントロールする能力はなく、金の流出はじめ経済は混乱します。さらに、財政難の幕府が続けてきた金の改鋳のつけ、長州征伐に伴う兵糧米の調達、等々が重なり、未曾有の物価高が起こりました。既に統治能力を失っていた幕府の無策が引き起こした人災が、一揆を起こしたわけです。その再発を恐れた役人たちが、いわばガス抜き策として、ええじゃないかを利用した面があるのではないでしょうか。
幕府や藩の指示があったわけではなく、いわば現場の知恵として、役人間に広がっていったものと考えます。もちろん、ええじゃないかが、民衆の世直しへの希求の表れであるとか、世の倒幕機運を加速させたとか、そういった後付講釈も否定はしません。ただ、ええじゃないかという現象発生の説明にはなっていません。各村落における個々のええじゃないかは、マスヒステリアだとは思いますが、各地へ伝播していくええじゃないか現象の全体をマスヒステリアとは言えないと思います。さすがに、役人が御札を降らせたとまでは言いません。ただ、役人たちが大衆のガス抜きとして利用したとでも考えないと、この摩訶不思議な現象は説明できないように思います。(写真出典:kotobank.jp)