監督:マリア・シュラーダー 2022年アメリカ
☆☆☆+
映画は、”ミラマックス”創業者で、映画界のドンと言われたハーヴェイ・ワインスタインによる永年のセクハラを、NYタイムスの記者たちが暴いた実話に基づきます。ワインスタインによる犯罪は、典型的な対価型セクシャル・ハラースメントです。映画界のドンの性的な要求を拒めば、以降、映画界で働くことはほぼ絶望的となります。尊厳のみならず、キャリア、希望が失われるわけです。ワインスタインに抵抗した女性たちもいましたが、守秘義務を条件とする多額な示談金が提示され、口を閉じられていました。金で解決するという倫理観もさることながら、法で被害者の口封じをする仕組み、ミラマックス社のガバナンスのあり方、そしてワインスタインの犯罪を黙認してきた映画界の体質も問題となりました。
それにしても、守秘義務を条件とする示談とは、実に巧妙なスキームだと思います。法で守られるべき被害者が法に縛られ、法で裁かれるべき加害者が法に守られるわけです。訴訟社会アメリカならでは、といった印象です。アメリカは、法に記載がなければ、なんでもありという社会です。日本の場合、法の趣旨が重んじられ、公序良俗が重視されます。犯罪を隠匿する契約など、認められないと思います。一方、被害者も、お金以上に、このスキームを受け入れざるを得ない事情もあります。つまり、業界で仕事を続けられるということです。まさに悪魔的とも言えるスキームです。NYタイムスの記者たちが取材を進め、記事を掲載するに際し、立ちはだかったのが、ワインスタインの圧力とこのスキームでした。
一人でワインスタインと戦うのは怖くても、みんなで声をあげれば戦える。2017年10月に掲載されたNYタイムスの記事をきっかけに、被害者の一人アリッサ・ミラノが、被害者たちに声をあげるよう呼びかけます。いわゆる「#Me Too」キャンペーンの誕生です。#MeTooは、世界中に拡散し、大きな動きとなりました。2018年5月、既に業界から締め出されていたワインスタインは、正式に起訴され、現在も控訴審が継続中です。人間の尊厳を奪う性犯罪は、外傷以上に永く被害者の心に影響を残す凶悪犯罪です。ことに対価型は、卑劣な犯罪です。「#Me Too」キャンペーンによって、権力を持った人々が多く告発されました。しかし、性犯罪が持つ立件の難しさもあり、それは氷山の一角に過ぎないと断言できます。
回想や再現シーンもなく、派手な結末があるわけでもありません。しかも何が起こっていたかは明らかでも、それを証明できないというジレンマが続きます。映画化するには、非常に難易度の高いテーマだと思います。ところが、見事に緊張感を持続し、観客を引き込んでいきます。まずは脚本の良さをあげるべきだと思います。脚本は、英国の劇作家レベッカ・レンキェヴィッチによるものです。さらに、マリア・シュラーダー監督のテンポの良い演出もあります。また、アカデミー賞常連のニコラス・ブリテルによる音楽が大きな役割を担い、見事な効果をあげています。近年、ここまでBGMが大きな仕事をしている映画はないようにも思います。
実話に基づき、実在するジャーナリストの活躍を描く映画は、そこそこあります。最もヒットした作品は「大統領の陰謀」(1976)だと思います。ワシントン・ポストのボブ・ウッドワードとカール・バーンスタインが暴いたウォーターゲート事件は、ニクソン大統領を退陣に追い込みました。事件の衝撃の大きさが、映画のヒットにつながった面があると思います。「SHE SAID」も、世界を動かした「#Me Too」を生んだ取材であり、映画の出来も良いと思うのですが、残念ながら興行的にはイマイチだったようです。理由として、ワインスタインの裁判が継続中であること、ワインスタインに対する世間の注目が薄れていることがあげられています。加えて言えば、ジャーナリストものは、国家権力や政治権力との戦いを描いたものの方がウケがいいのだろうと思われます。(写真出典:en.wikipedia.org)