2023年2月9日木曜日

ミント・ティー

ポリスの最後のアルバムにして最高傑作「シンクロニシティ」(1983)のなかに、「Tea in the Sahara」という曲があります。アルジェリアを舞台とするポール・ボウルズの小説「The Sheltering Sky」(1949)に感銘を受けたスティングが作詞・作曲したとのこと。砂漠の静謐さと小説の破滅的なムードが反映された名曲だと思います。「The Sheltering Sky」は、1990年、ベルナルド・ベルトリッチによって映画化もされています。美しい映像と悲惨な主人公たちの旅が印象に残る映画でしたが、残念ながら評価されることはありませんでした。スティングが歌う「Tea in the Sahara」のTeaは、ミント・ティーだと確信しています。砂漠に合うお茶と言えば、ミント・ティー以外に考えられません。 

1980年元旦、ジブラルタル港から、イブン・バトゥータ号に乗って、タンジールに渡りました。エキゾチックなモロッコでは、見るもの全てが新鮮でしたが、とりわけ印象に残ったものの一つが、ミント・ティーでした。モロッコの人たちは、のべつ幕なしにミント・ティーを飲みます。乾燥した土地で飲むミント・ティーの爽やかさは、ちょっとクセになります。モロッコ風のミントティーは、紅茶の葉、砂糖、それに新鮮なミントの葉をポットに入れて、少し煮出して飲みます。ポットにお湯を注ぐときには、高い位置から注ぎます。ミントの香りをたたせるためなのでしょう。また、ミントは、ポットに入れる前に、手のひらに乗せてポンと叩き、香りを立たせてから入れます。刺身の薬味に使う穂紫蘇と同じ要領です。

モロッコ発祥と言われるミント・ティーですが、その歴史は、決して古くはありません。モロッコは、アフリカと欧州を結ぶ交易の要所であり、古くからカルタゴや古代ローマ等の支配を受け、7世紀にイスラム化されると王朝が成立し、イドリス朝からアラウィー朝まで、政権は変わるものの独立を維持し、最盛期には、アフリカ北西部からイベリア半島南部にまで領土を拡大しました。欧州が植民地主義の時代に入ると、列強の干渉を受けたモロッコは、結果的にフランスの植民地となります。18世紀、モロッコに紅茶と砂糖をもたらしたのは英国人でした。捕虜の釈放交渉に際し、スルタンへの贈答品とされました。19世紀半ばまでには、紅茶に地元産のミントを加えたミント・ティーが国内に広がっていたようです。

ミント・ティーの効用は、喉の渇きを癒やすクイック・クエンチ効果だと思っていました。他にも、アレルギー症状の緩和、リラックス効果、そして消化促進効果もあるようです。モロッコを代表する料理と言えば、タジンやクスクスがあります。タジン鍋を使った蒸し料理は、一時期、日本でも流行しました。クスクスは、モロッコを含むマグリブ地域発祥と言われる粒状のパスタです。フランス料理の付け合わせにも多用されます。モロッコでは、ほぼ主食状態で、シチューのような煮込み料理をかけて食べます。正しい食べ方としては、右手ですくい、くるくると丸めて口に放り込みます。試してみましたが、うまくできませんでした。確かに、クスクスには、ミント・ティーが合うように思います。

加賀の山中温泉のかよう亭は、料理自慢の宿として有名です。ことに朝食は日本一とも言われる見事なものです。朝食後、女将さんが、ロビーで自家製のミント・ティーをふるまってくれました。広大な敷地内に自生しているミント、いわゆるハッカを、単純に乾燥させたものを使っているとのこと。モロッコ風ではなく、いわゆるハーブ・ティーとして出してくれました。これが、とても美味しくて、絶賛したところ、お土産として乾燥ミントを頂戴しました。ハーブ・ティーとしてのミント・ティーは、世界中で広く飲まれており、ティー・パックも多く販売されています。それはそれで美味しいのですが、たまにはモロッコ風ミント・ティーが飲みたくなります。(写真出典:destinationmorocco.co)

マクア渓谷