2023年2月10日金曜日

ヴァンゼー会議

ヴァンゼー会議は、1942年1月、ベルリン郊外のヴァン湖に面した別荘で、ナチス・ドイツの高官たちが集まり、ユダヤ人の移送と虐殺を決定した会議です。会議は、ナチス親衛隊(SS)のナンバー2で、国家保安本部を所管するラインハルト・ハイドリヒによって招集されます。金髪の野獣と呼ばれたハイドリヒは、その冷酷さで知られましたが、会議の5ヶ月後、英国の支援を受けたチェコ人レジスタンスに暗殺されています。議事録に基づき忠実にヴァンゼー会議を再現したというドイツ映画「ヒトラーのための虐殺会議(原題:Die Wannseekonferenz)」を観ました。TV用映画ですが、日本では劇場公開されました。映画というよりは、再現ドラマといった風情でした。

ヒトラーの反ユダヤ主義は、偽書として知られる「シオン賢者の議定書」によるところが大きいとされます。ヒトラーが1925~26年に発表した「我が闘争」のなかでも、大きな影響を受けたことが記されています。「シオン賢者の議定書」は、1900年前後のロシアで、大衆小説などをベースにねつ造された陰謀論であり、ユダヤ人が世界征服を企んでいるという内容になっています。今となっては、馬鹿馬鹿しいの一言ですが、2千年間、”キリスト殺し”として迫害されてきたユダヤ人の歴史が存在し、史上最悪の厄災となった第一次世界大戦を起こした真犯人が求められた時代にあっては、反ユダヤ主義者の間で大きな影響力を持つに至ったわけです。

ナチスにとって、人種問題は、ドイツ帝国の復権と表裏を成す政策でした。世界を支配すべき優秀なアーリア民族という発想には、それを阻む諸悪の根源である劣等人種ユダヤ人という構図が必要だったと言えます。ナチスの反ユダヤ政策は、経済面、市民権等への弾圧、”水晶の夜”に始まる暴力、国外移住、ゲットーへの封じ込めと展開していきます。ただ、ナチスにとっては、それでも不十分であり、また支配地域の拡大によって、対処すべきユダヤ人が増加したことも問題でした。そこで、”最終的解決”が立案され、ヴァンゼー会議へとつながります。会議の目的は、関連省庁への計画の徹底と、全ての権限をナチス本流の国家保安本部へ集中することでした。ナチス政権には、ユダヤ人虐殺に関する予算が存在しませんでしたが、この権限集中がゆえと言えます。

会議は、独裁政権が法律と官庁を超えて権限を集中していく過程そのものであり、興味深いものでした。人道的観点からの懸念は、虐殺に対するドイツ兵の心理的負荷の軽減という議論へとすり替えられ、法の尊重は、限定された譲歩と懐柔によって後退させられます。官僚は法に基づき行動しますが、官庁は政権によって存否が決まります。役人たちは、権限や縄張りにおいて、多少なりともメンツが立てば、体制に順応していきます。また、役人たちは、面倒なことは、すべて国家保安本部が引き受けるという提案に飛びつき、結果、法体系を超えた権限の集中が実現します。官僚の心理をよく心得たナチスの戦術は、実に見事なものです。なかでもアイヒマンの有能ぶりが、会議の趨勢を決めていた点が印象的でした。

ゲシュタポのユダヤ人問題担当課長だったアドルフ・アイヒマンは、戦後、アルゼンチンに逃れ潜伏します。1961年、モサドによって確保されたアイヒマンは、イスラエルで裁判を受け、死刑になっています。公判中のアイヒマンは、実に巧みに官僚言葉を操り、命令に従ったまでと無罪を主張します。アイヒマンは、極悪非道な殺人鬼ではなく、有能な一官僚でした。法を熟知し、法に準拠して存在・機能する官僚ですが、一定のベクトルが示され、立身出世が約束されると、その有能さをもって、いとも簡単に法を逸脱していくことになります。それは決して過去の話ではありません。近年、日本でも、安倍政権下で実例を見ることになりました。企業内部でも同様のことが、日常的に起こっています。企業でガバナンスに関わる人々は、反面教師としてのナチス政権を研究すべきだとも思います。(写真出典:hiroshimapeacemedia.jp)

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