2023年2月12日日曜日

梁盤秘抄#29 Left Alone

アルバム名:Left Alone(1959)                                                                       アーティスト:Mal Waldron 

マル・ウォルドロンは、NYシティ出身のジャズ・ピアニストです。1970~80年代の日本では、絶大な人気を誇りました。チャールズ・ミンガスの「直立猿人」、あるいはエリック・ドルフィとブッカー・リトルの「アット・ザ・ファイブ・スポット」といった名盤でも弾いていますが、晩年のビリー・ホリディのピアニストとしても知られています。ビリー・ホリディが亡くなる5ヶ月前に、彼女の作詞、マル・ウォルドロンの作曲で作られたのが名曲「Left Alone」です。もの悲しいメロディのなかにも優しさが漂う曲調は、学生運動に敗れた日本の若者たちの心に響いたのでしょう。

1960年代のはじめ、マル・ウォルドロンは、ヘロインの過剰摂取で倒れ、演奏から遠ざかります。しかし、リハビリに努めたウォルドロンは、見事に復活を果たします。復活後は、麻薬を常習するジャズマンが多いNYを離れ、欧州に活動拠点を移します。70年代に入り、日本で人気が高まったことから、しばしば来日するようになります。日本での滞在が長くなったウォルドロンは、日本人を二度目の妻にしています。私も、何度かライブを聴きました。高校時代には、ジャズ・クラブでのライブのあと、短い会話を交わすこともできました。どこか寂しげな表情を浮かべる物静かな紳士でした。

Left Aloneは、1959年の同名タイトルのアルバムに収録されています。トリオで演奏されたアルバムですが、Left Aloneだけは、ジャッキー・マクリーンが、アルト・サックスを吹いています。名手ジャッキー・マクリーンは、若くしてマイルス・デイビスと共演し、ミンガスの「直立猿人」、あるいはソニー・クラークの歴史的名盤「クール・ストラッティン」にも参加しています。Left Aloneは、マル・ウォルドロンの代名詞とも言える曲ですが、ジャッキー・マクリーンの十八番としてもよく知られています。マクリーンのシンプルな音とストレートな演奏が、曲調によくマッチしています。

20世紀を代表する偉大な歌手ビリー・ホリデイについては、もはや何も語る必要はありません。世の中のありとあらゆる悲惨を経験したビリー・ホリデイの歌には、いつも悲しさ、つまりブルーズがあります。作詞した彼女自信が歌うLeft Aloneを聞いてみたかったと、誰もが思っていることでしょう。ビリー・ホリデイは、1959年7月17日、44歳で亡くなっています。永年続けた麻薬とアルコールによって衰弱し、その年の3月に最後のレコーディングをしていますが、まともに歌えなかったと言われます。Left Aloneは、彼女が自らの死を意識して書いたのではないか、とすら思えます。だとすれば、彼女が録音できなかったこと自体が意味深いことなのかも知れません。

ウォルドロンが欧州に拠点を移した後の1966年にアルバム”All Alone”がリリースされます。その中の一曲”A View of S.Luca”は大好きな曲です。日本では”ルーカの眺め”というタイトルで知られます。S.Lucaとは、ボローニャ郊外の丘の上に立つサン・ルカ教会のことなのでしょう。教会の周囲は”サントゥアリオ・デッラ・マドンナ・ディ・サン・ルーカ”と呼ばれる聖域となっており、教会からのその眺めが有名です。曲は、聖母に捧げられた聖域を眺めながら、過ぎ去った過去や失った人々を偲んでいるように聞こえます。そのなかの一人は、間違いなくビリー・ホリデイなのだろうと思いながら聴いています。(写真出典:amazon.co.jp)

マクア渓谷