ジャズやサンバをあげるまでもなく、南北アメリカには、西アフリカと欧州の音楽が融合して生まれた新しい音楽が多数あります。ダンスとしてのタンゴは、18世紀のスペインで誕生しているようですが、それが貿易で賑わうラプラタ川河口地域へ伝えられ、独自の進化を遂げます。各地から伝わったマズルカ、ミロンガ、カンドンベ、ハバネラ等の影響を受け、19世紀末には、現在に至るタンゴの姿になったようです。個人的な印象で言えば、キューバのハバネラの影響が濃いように思います。フランスのコントルダンスに、アフリカ系の強いリズムが加わり出来たのがハバネラだと言われます。ハバネラは、キューバからスペインに伝わり、カルメンでも有名なとおり、スペインを代表する音楽の一つになっています。
タンゴは、2/4拍子、4/8拍子の第一拍、第三拍に強いスタッカートを入れるリズム、そして哀愁漂うメロディが特徴です。タンゴに付き物の楽器と言えばバンドネオンです。ドイツ発祥の楽器ですが、スタッカートを付けやすいことからタンゴで多用されます。エル・チョクロやラ・クンパルシータといったアルゼンチン・タンゴの古典は、誰もが耳にしたことがある名曲です。タンゴは、男女のペアが、体を密着させ、セクシーに、かつキレよく踊るダンスと一体化した音楽と言えます。ただ、ダンスと完全にシンクロすることで、発展性に乏しい、やや硬直化した音楽になった面があると思われます。簡単に言えば、どれも同じに聞こえるわけです。ピアソラは、タンゴに限界を感じ、新たな姿を求めます。
イタリア移民三世としてブエノスアイレスに生まれたピアソラは、少年期をNYで過ごしています。ブエノスアイレスでバンドネオン奏者として活動しますが、タンゴの演奏に行き詰まったピアソラは、33歳でパリに留学してクラシックの作曲を学んでいます。パリから帰国したピアソラは、革新的なタンゴに挑戦しますが、タンゴの破壊者として激しい批判にさらされ、命まで狙われたと言います。やむなくピアソラは、活動の場をNYに移しています。ピアソラの音楽は、タンゴに、バロックやフーガの構造、ジャズのリズムとアドリブを加えたものと言われます。ピアソラの改革とは、タンゴをダンスから解放し音楽として独立させたことであり、それが出来たのは、タンゴを国外から見る機会を持てたからなのでしょう。
タンゴは、他の新大陸系音楽と同様、強いリズムが特徴ですが、そのなかでは最もヨーロッパの色が濃いと思います。それは、恐らくタンゴ発祥の地として知られるブエノアイレスのラ・ボカ地区が、ジェノヴァ移民の街だったことが関係しているのでしょう。ラ・ボカは、町並みも、文化も、ヨーロッパの風情を強く残していると言われ、それが観光の売りにもなっているようです。アルゼンチンのピッツァ好きは有名で、国民食とまで言われますが、その発祥の地はラ・ボカです。また、アルゼンチンを代表するサッカー・クラブと言えば、マラドーナも在籍したボカ・ジュニアーズですが、ラ・ボカはその本拠地であり、サポーターは”ロス・セネイセス(ジェノヴァ人)”と呼ばれます。(写真出典:asahigunma.com)