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Las Vegas in 80's |
1929年に世界恐慌が起こると、ネヴァダ州は、税収確保のために賭博を合法化します。おりしも近郊でフーバー・ダムの建設が始まり、ヴェガスには、多くの労働者が入り込み、豊富な電力が供給されることになります。 砂漠のオアシスは、ギャンブルの町へと変わっていきます。第二次大戦後、アメリカが繁栄と平和を謳歌するなか、ラス・ヴェガスには、巨額の投資が行われ、大きな発展を遂げていきます。アメリカの田舎の人々は、1年間働いて貯めた小銭を持ってラス・ヴェガスへ行くことを楽しみにしています。典型的なヴァケーションの過ごし方ですが、昔の日本の農民の湯治に近いものがあります。ギャンブルを一切やらない私にとっては、理解に苦しむところがあります。
ラス・ヴェガスは、ギャンブルで客の金を巻き上げるという一点に向かって、実によくシステム化された町です。例えば、宿泊費と食事は、とても安く設定されています。そこで浮いた金を、ギャンブルにつぎ込ませる仕組みです。また、空港にまで、スロットル・マシーンが置かれ、とことん客から金を搾り取ります。さらに、ショーやスポーツ・イベントの開催は、単に集客のためだけではないように思えます。つまり、自分は、ギャンブルのためだけにヴェガスに行くのではないと言い訳できるわけです。とは言え、80年代までは、やはりギャンブルまみれの町でした。90年代になると、戦略はさらに高度化し、豪華なホテルやアトラクションが用意され、家族で楽しめる町へと変わっていきます。
1991年、家族で、一度だけラス・ヴェガスへ行きました。ヴェガスが目的地ではなく、大西部の旅の起点・終点にしただけです。子供たちが喜ぶと思って、サーカス・サーカスに宿を取りました。その安さに驚きました。無料のスナックや、格安の食べ放題等も充実していました。ホテル内で、常時、行われているサーカスも典型ですが、とにかく街全体が、客を興奮状態に置き続けるように構成されています。アメリカ人は、カウンティ・フェアが大好きです。もともと郡単位で行われていた収穫祭のようなものですが、移動遊園地、サーカス、見世物小屋等が建ち並び、実に賑やかなものです。ラス・ヴェガスは、アメリカ人にとってなじみ深いカウンティ・フェアを、365日、24時間やっているようなところだったわけです。
東ではフロリダのディズニー・ワールド、西ではラス・ヴェガスが、アメリカらしい人工的なヴァケーション・シティの代表だと思います。日本には、そこまでの街は存在しません。やはり市場規模の違いということになるのでしょう。ちなみに、1950年代のラス・ヴェガスは”アトミック・シティ”とも呼ばれていました。町から北西に100kmほどのところに、核爆弾の実験場が開設され、町からはキノコ雲が見え、当然、町全体も被爆していたわけです。60年代に入ると、核実験は、地下で行われるようになります。それまでの間、核実験場で働く兵士たちと同様、原爆症に苦しむ町の人たちも少なからずいたようですが、まったく問題にはされませんでした。(写真出典:photoslasvegas.com)