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マティス「ダンス」 |
言語は、ジェスチャー言語、あるいはノンバーバル言語から発生したという説があるようです。人間も、動物と同じように鳴き声は発していたはずですが、それが言語化するというのは、やや飛躍が過ぎるようにも思います。もしそうだとするならば、他の集団行動を行う動物も言語を獲得して当然です。直立二足歩行を始めた人間が、自在に喉を使えるようになったことも言語を獲得した大きな要因です。また、両手を自由に使えるようになったことで、道具の活用だけではなく、ジャスチャーも進化させたであろうことは想像に難くありません。コミュニケーションは、鳴き声とジェスチャーで行われ、ジャスチャーが言語へと置き換わっていったという説は納得できるストーリーです。
言語を生み出したジェスチャーは、ダンスをも誕生させたものと考えます。ダンスがコミュニケーション手段であるジェスチャーを起源とするならば、ダンスの目的も、やはりコミュニケーションだったと考えられます。ダンスは、何かを表現する、何かを伝える、何かを共有する、といったことを通じて。組織としての連帯を高める効用があったということなのでしょう。人類は、狩猟においても、農耕においても、集団行動をとることによって霊長類の頂点に立ちました。集団が効率良く機能するためには、コミュニケーションが欠かせません。そこでは、物理的効用に限らず、心情面における一体感も重要となります。言語とダンスは、ともに人類の集団性の発揮に貢献したと言えます。
広い意味での必要性に基づきダンスは誕生したといえます。ダンスの遊びや娯楽という面も、その延長線上にあるものと考えられます。娯楽化の背景には、踊ることの喜びが存在していたものと思います。個の生存に関わる集団への帰属、あるいは種の保存に関わる生殖、いずれもの場合であっても、人間にとって連帯は本能的欲求だと言えます。ダンスは、その欲求を満たしてくれるものであり、それがダンスを踊る喜びの根源なのではないでしょうか。集団性の薄い鳥類など動物の一部もダンスを行います。いわゆる求愛行動ですが、これは有性生殖におけるプロセスであって、鳥にダンスを踊っているという意識はないのでしょう。ただ、人間のダンスにも、他者の注意をひくといった要素は含まれているものと考えます。
ソロで踊るダンスは、集団性との関係が薄いように思われます。いわゆる表現としてのダンスということになりますが、自らの感情や思考を、動作で現わすという行為は、コミュニケーションの一つの形だと考えられます。内面にあるものを、ダンスを通じて、他者、あるいは神に伝えるという行為です。時代が進むと、ダンスは、神とコミュニケートする手段として、信仰のなかで様式化されていきます。日本語で言えば、舞の誕生だと言えます。ダンスにおける、リズムだけではない音楽との関係、衣装との関係、あるいは踊る場との関係も、ここで生まれたのでしょう。ひとたび様式化されると、ダンスは、音楽と共に、世界各地で独自の進化を遂げていきます。そして、祭礼から裾野も広がり、儀式、娯楽、芸術、スポーツ等へと展開を始めます。ダンスが芸術の母とも言われる所以です。(写真出典:omochi-art.com)