監督: セバスティアン・レリオ 原題:The Wonder 2022年イギリス
☆☆☆ー
(ネタバレ注意)
19世紀中葉のアイルランドの田舎を舞台とする心理サスペンスです。映画は、サウンドステージに作られた映画のセットを映し出して始まり、終わります。実に意味深な映像ですが、見終わっても、意味不明のままでした。プロットは、食事をせずに4ヶ月間生き続ける少女、その観察のためにロンドンから呼び寄せられた訳ありの看護婦、信仰心の強い家族とその秘密、同地出身でじゃがいも飢饉に痛みを持つジャーナリスト、そして少女の救出で構成されます。映画化もされた「ルーム」のエマ・ドナヒューが、19世紀のサラ・ジェイコブ事件に基づき書いた原作を、チリのセバスティアン・レリオが監督、Netflixで配信されています。19世紀に登場した断食少女たちは、実に興味深い現象です。ただ、脚本がブレたことで、そのインパクトが十分には伝わっていません。宗教的構図を、ヒューマニズムやフェミニズムの観点から深掘りすれば、かなり重厚な作品になったと思いますが、サスペンス仕立てや救出劇で、あえて軽い仕上げにしているようにも思えます。ストレートな宗教批判になることを避けたのかもしれません。それはそれで、一つのやり方ですが、問題は、ストーリー展開が、重さと軽さの間でフォーカスを失っていることです。例えば、最後の救出劇などは、やや唐突な印象すらあります。そのブレを増幅させているのが、音楽です。現代的な音感が、重いのに軽い、中途半端な印象になっています。
一方、映像は見事な出来映えです。荒涼としたアイルランドの湿地帯、絶妙なライティングで刻まれる人物の陰影などが、一貫して、安定的に映し出されます。監督の確かな腕前を感じさせます。また、主演のフローレンス・ピューのメリハリのある演技が、映画に背骨を通している印象があります。目力の強さが、近代的な精神を表現し、他方では、乳幼児だった我が子をを失ったつらさを背負い、アヘンを服用するという影の部分を演じています。彼女の抱える哀しみが、最後の救出劇の伏線となっています。ただ、その伏線も、他のシーンからまったく独立しており、伏線としての弱さが、ラストの救出劇の唐突さにつながっています。
時代設定は、アイルランドのじゃがいも飢饉から10年後になっています。ジャーナリストの家族に関する悲惨な話が、飢饉の悲惨を伝えます。ただ、映像が映すアイルランドの暗さも、飢饉、そして飢饉の背景となったイングランドによる支配の重苦しさを表現しています。アイルランドの貧しさ、後進性、それがゆえの狂信性が、少女の命を奪いかねないという設定は、それだけでも政治的だと思います。当時は、プロテスタントによるカソリック批判が熾烈を極め、「闇の中世」というイメージも作られます。ラストで、カソリックの修道女が、プロテスタントである看護師に、少女は助かったのか、と聞くシーンは象徴的です。ただ、ピントの甘い脚本ゆえ、そのシーンの印象も弱くなっています。
なぜイングランドの看護婦が呼ばれたのか、映画は何も語っていません。アイルランドの歴史は、イングランドに圧迫され、支配されてきた歴史です。中世以降は、カソリックがプロテスタントに虐げられる歴史でもありました。映画の時代設定となっている19世紀中葉は、イングランドの植民地として、英国化が進められていた時代です。じゃがいも飢饉の際には、アイルランド人が飢えているにもかかわらず、英国人の地主たちがじゃがいもの輸出を続け、結果、アイルランドの人口は半減したと言われます。アイルランドの象徴とも言える少女のもとに派遣され、結果、少女を救出したイングランドの看護婦という設定が、何を意味しているのか、よく分かりませんでした。まさか、イングランド擁護というわけでもないでしょうが。(写真出典:en.wikipedia.org)