2022年11月16日水曜日

上海的士

近年の浦東夜景
タクシーは便利な乗り物です。江戸期には駕籠、明治になると人力車があったわけですが、日本初のタクシー会社は、1912年(明治45年)、東京に誕生しています。T型フォード6台を使って営業が開始されたようです。もちろん、タクシーは移動手段ではありますが、運転手さんの存在も大きいと思います。私は、地方でタクシーに乗った際、必ず運転手さんと話します。その地域に関わる最新の、かつ生の情報を入手できるからです。運転手さんからは、街角景気や企業に関する噂話、場合によっては企業経営者に関するゴシップまでも聞くことがあります。観光で訪れた際には、最近人気の高い観光スポットや飲食店の情報を聞きます。

タクシーの運転手さん一人が、直接入手できる情報には限りがあるのでしょうが、運転手さん同士のおしゃべりのなかで情報が蓄積されていくのでしょう。いわばタクシー・ドライバーのビッグ・データです。タクシー運転手は孤独な仕事です。多くの情報を持っていても、それを話す機会は少ないわけです。客と会話する機会があれば、聞く側ではなく、話す側になる傾向があるのも頷けます。それは海外でも同じなのでしょう。海外の運転手さんについて思うことは、日本国内と比べ、かなり個性的な人が多いな、ということです。これまでも各国で様々な面白い経験をしてきました。なかでも、かなり印象的だったのが、30年前の上海での経験です。中国では、タクシーは”出租車”、あるいは”的士”と表記されます。

30年前の上海は、改革開放政策による市場経済化が進行中という段階でした。街は、革命以前の風情を色濃く残していました。黄浦江の東側、浦東新区の開発も始まったばかりでした。浦東は、人口1千万人の新しい街になると言われていましたが、当時はまだ電視塔が完成したばかりで、周囲には若干のビルが建設中といった状況でした。そして、その周囲は、広大な水田や畑だけが広がっていました。とりあえず現状を見ておきたいと思い、淮海路で的士を拾いました。運転手さんは、イキがってサングラスをかけた20代と思しき人でした。英語は話せるかと聞くと、OK、OKとのこと。浦東を一回りしたいと言うと、OK、OK、料金はこれくらいでどうだと言うと、OK、OK。やや心配ではありましたが、とりあえず乗り込みました。

橋を渡るまでは順調でした。ところが、浦東に入って程なく、運転手さんの挙動があやしくなります。道に迷ったどころか、浦東は初めてといった様子でした。大丈夫かと聞くと、OK、OKと言うばかり。私は、止むなく車を止めてもらい、助手席に移りました。私が持っていた大雑把な観光地図を二人でのぞき込み、帰り道を探しました。彼が英語を理解しないことは明白でしたので、中国語と日本語という意味のないやりとりをしながら、身振り手振りで脱出路を探りました。結局、私がナビゲイターとなり、そこを右、これをまっすぐ、といった指示を身振りで出しながら、無事、浦東を脱出しました。30分もあれば、済むドライブでしたが、90分以上もかかってしまいました。ま、今となっては見ることのできない浦東の田園風景を堪能することはできました。

的士を降りる時、彼は、お金は半分でいいとジェスチャーで言っていましたが、彼の勇気と努力に敬意を表し、決めた金額にチップをたんまり上乗せして払いました。上海の後は、北京に向かいました。故宮、天安門広場はじめ市内の名所見物と京劇鑑賞が主な目的でした。とは言え、万里の長城も見ておきたいところです。バスで行くことはハードルが高いので、タクシーをチャーターするつもりでした。ただ、浦東での一件があったので、日系ホテルへ出向き、日本語ガイド付きのハイヤーで行く現地ツアーを申し込みました。運転手さんと通訳が同行しましたが、参加者は私一人。昼食も美味しい店に連れて行ってもらい、快適に観光することができました。今となっては、円高時代の優雅な旅だったと言えそうです。(写真出典:news.cgtn.com)

マクア渓谷