2022年11月10日木曜日

扇子

龍馬扇
外国人に渡す日本土産には、結構、悩みます。もちろん、日本には、外国人が喜びそうな品物が数多くあるのですが、いざ、選ぶとなると、結構、難しいところがあります。かつて、会社の大先輩は、龍村の西陣織のテーブル・クロス、あるいは象彦の京漆器の手文庫と決めていました。いちいち悩まずに済みますから、いい手だと思います。ただ、いずれも高価なものなので、私は、よく舞扇を使っていました。舞扇は、ジャパネスクで、華やかなところが、外国人にウケるはずだと思った次第です。しかも、お土産用の安価なものから、老舗の高価なものまで幅広い品揃えがあり、時と場合に応じて選択できます。

 団扇(うちわ)は、古代において、世界中で同時発生したものと思われます。古代中国においても、古代エジプトにおいても、団扇は記録され、描かれています。しかし、それを折り畳み式の扇子にしたのは誰なのか、ということについては議論があります。中国起源説にも、韓国起源説にも、証跡となる文献が存在します。ところが、いずれにも、それを否定する文献も残っています。唯一、否定的文献が存在しないのが、日本起源説です。7世紀の檜扇が出土し、平安時代の文献では、団扇と扇子が区別されています。伝承に依れば、4世紀には、コウモリの羽にヒントを得たとされる蝙蝠扇が生まれたとされています。ヒノキの薄板で作られる檜扇に対し、木や竹の骨に片面だけ紙を貼ったものが蝙蝠扇です。

扇子は、涼をを得るために使われますが、平安期の貴族・武家社会では、遊びや儀式にも使われるようになり、骨に透かしを入れた透扇なども登場します。室町時代になると、宋や明で作られた両面に紙を貼った唐扇が逆輸入され、一般化されています。この時期、扇子は、日本の特産品として、多く輸出されています。主な輸出先は中国ですが、欧州にも伝わり、17世紀になると女性の持ち物として普及していきます。江戸期、扇子は、能・狂言、あるいは茶道において欠かせないものとなり、一般社会にも普及します。また、扇子は、用途や季節に応じて、様々なヴァリエーションを持つようにもなります。武家には、軍扇や鉄扇が登場し、冠婚葬祭では祝儀扇が使われ、芸能においては、舞扇が生まれます。

舞扇は、見栄えの良さだけでなく、頑丈さも求められます。踊りのなかでは、頻繁に開閉したり、ほうったりと、様々な使い方がなされるからです。基本的には10本の骨、厚手の紙、さらには骨と紙を糸で縫い合わせる場合もあります。また、要の部分には、鉛の重りが使われ、バランスが取りやすく、扱いやすくなっています。図柄は、踊りの種類によって多種多様ですが、おおむね遠目にも華やかな色使いのものが多いように思います。扇子の主な産地と言えば、やはり京都ということになります。“京の三職”という言葉もあります。京都の冠師、烏帽子師、末広師を指しますが、いずれも徳川幕府のお抱え職人でした。末広とは、その形状から縁起が良いとされた扇子の別称です。

私も、夏場には扇子を欠かしません。素早く汗をひかせるために使います。京都の宮脇賣扇庵の龍馬扇を愛用しています。宮脇賣扇庵は、1823年の創業です。”賣扇”とは、字のごとく扇子を売るという意味だと思っていましたが、実は、明治20年、日本画家・富岡鉄斎が、賣扇桜という京の銘木にちなんで命名した屋号のようです。龍馬扇は、男性用のやや大きめなサイズ、渋い色合い、美しい形が売りですが、実は、丈夫さにも優れています。今使っているものは、既に10年を超えていますが、いまだにしっかりしています。近年、夏場には携帯扇風機が大はやりです。実に不細工なものです。もっと日本発祥の扇子を使いこなしてもらいたいものだと思います。(写真出典:sumally.com)

マクア渓谷