映画は、生前にヘルムート・ニュートンに密着取材したフィルムと彼を巡る女性たちへのインタビューで構成されています。妻でビジネス・パートナーでもあったジューン・ニュートン、被写体となったモデルや女優たち、そして「写真論」で知られる評論家のスーザン・ソンタグまで登場します。ソンタグについては、TVの討論番組でニュートンを女性差別主義者と罵るシーンが使われています。出演者は、それぞれ、ニュートンの人となり、仕事ぶりを語っていますが、なかでも女優イザベラ・ロッセリーニは、包括的で、示唆に富んだ話をしていました。ちなみに、イザベラは、ロベルト・ロッセリーニとイングリット・バーグマンの娘であり、デヴィッド・リンチ監督の「ブルー・ヴェルヴェット」(1986)が印象に残ります。
ベルリン出身のヘルムート・ニュートンは、しばしば、ナチスの影響が取り沙汰されています。彼自身は、裕福なユダヤ人の息子であり、ナチスのユダヤ人迫害を逃れて、国外に脱出しています。ただ、作風には、ナチス御用達であった映画監督レニ・・リーフェンシュタールの影響が濃いとされます。また、興味深いことに、イザベラ・ロッセリーニは、ドイツ表現主義の影響について言及しています。ドイツ表現主義は、20世紀初頭、客観的な表現を否定し、内面を主観的に描いた芸術運動です。その後、ドイツではワイマール共和国時代に、冷徹な視線で即物的に描く新即物主義が台頭し、表現主義は否定されます。しかし、表現主義が切り開いた新たな地平線は、あらゆる前衛的、近代的表現に影響を与え続けたと思われます。
ヘルムート・ニュートンは、ワイマール時代からナチス時代初期のベルリンで、青春時代を送っています。第一次世界大戦後に成立したワイマール共和制は、帝政を廃し、民主制を実現しました。ただ、政治的にも社会的にも混乱の時代であり、ナチスを生んでいくことになります。文化的には、帝政から解放されたことで、パンドラの箱を開けたごとく、新しい芸術が展開され、黄金の時代とも、狂騒の時代とも言われます。新即物主義、ダダイズム、シュールレアリズム、バウハウスなどが起こっています。いずれも表現主義を否定しつつも、その影響下にあったと言えます。恐らくヘルムート・ニュートンの骨身には、このワイマール期の熱狂が染みついているのだと思います。
実は、ワイマール共和制時代のドイツの特徴の一つとして、ユダヤ人の活躍が挙げられます。ユダヤ人は、政治家、学者、芸術家等、各分野で大活躍し、ノーベル賞も多数獲得しています。そのなかに、世界初のファッション写真家といわれるイーヴァもいました。彼女は、ファッション、肖像、ヌード等の分野で、前衛的手法を用い、ジェンダーレスなアプローチをもって女性を表現していきます。女性が被写体であった時代に、まさに革新的な存在だったわけです。そして、彼女のアシスタントの一人が、若き日のヘルムート・ニュートンでした。ニュートンは、技術的な面だけでなく、彼女のファンション写真への傾倒、性的認識をも継承することになったのだと思います。なお、イーヴァは、ユダヤ人の退廃的芸術家としてゲシュタポに逮捕され、収容所で亡くなっています。(写真出典:theartpostblog.com)