ちょうどその頃、朝鮮特需で、国民は忙しくなり、懐具合も多少は上向き、そろそろ甘いものが欲しくなった頃だったわけです。時流に乗った御座候は、順調に事業を拡大し、現在では、関西、東海、首都圏を中心に77店舗を展開しています。御座候は、高級品だったので、回転焼とは呼ばれず、そのまま御座候と呼ばれてきたようです。近年の関西では、回転焼という言葉は廃れつつあり、代って御座候が一般名詞化しているとも聞きます。ちなみに、御座候という風変わりな屋号は、「お客さまにお買い上げいただきありがたく御座候」という気持ちが込められているだそうです。
今川焼は、18世紀後半、江戸の今川橋のたもとで売り始めたことが起源だと聞きます。文献上も、江戸の今川焼が初出さとされています。現在、今川橋は存在していませんが、神田駅の東側に、交差点名として残ります。今川焼は、全国各地で、実に多様な名前で呼ばれています。関東では今川焼ですが、関西は回転焼、全国的な主流は大判焼だと言われています。他にも、おやき、あじまん、太鼓焼、二重焼、あんこ饅頭等、枚挙の暇が無いほど各地各様の名前が存在します。回転焼は、生地を回転しながら焼くことからきているようです。最も一般的な大判焼は、焼き器の名称から広まったようです。
1950年代中期、獅子文六の「大番」という小説が大ヒットします。昭和初期の兜町を舞台に、相場師たちの世界が描かれています。主人公の「ギューちゃん」はじめ、実在する相場師たちがモデルだったこともあり、評判になったようです。映画化も、TVドラマ化もされています。主人公の出身地が愛媛という設定だったので、地元の回転焼き器メーカーである松山丸三が、自社製品を「大番」と命名します。しかし、それでは著作権に抵触する恐れがあることから、「大判」と変えて全国に出荷します。これが、大判焼という名前が、全国に広く定着した理由と言われます。
今川焼は、江戸期に江戸から全国に広がったのではなく、また、全国で同時発生したものでもなく、この松山丸三の回転焼き器「大判」の普及によって全国に広がったということなのでしょう。焼き器の製品名を、そのまま商品名にした店が多かったわけです。大判と言えば、江戸期の金貨である大判・小判を想起させます。ただ、1950年代のことですから、大判・小判は知ってはいても、既に古くさい代物だったはずです。そこで、回転焼き器「大判」を導入した店のなかには、それぞれ工夫を凝らした名前を付ける店も登場し、各地各様の呼び名が生まれたということなのでしょう。(写真出典:shinume.com)