今回は、ゴールデン・ストラカー・トリオとして、ドナルド・ヴェガのピアノ、ラッセル・マローンのギターというセットでした。一言で言うなら、珠玉のライブでした。85歳になったミスター・ベースは、杖をつきながらステージに上がりました。多少、心配になりましたが、その想像力あふれるプレイ・スタイルは衰えていませんでした。ドラムのないトリオは、知的で室内楽的な心地良さもありますが、十分にスリリングでもあり、何よりロン・カーターのベースをしっかり楽しむことができました。セットリストは、ブルースあり、ボサノヴァあり、バッハ的変奏曲ありと多彩でした。MCも、いつもどおり、簡潔で、落ち着いた、どこか教授っぽいロン・カーター節のままでした。
ロン・カーターは、クラシック奏者を目指して、ロチェスターのイーストマン音楽学校で学びました。ただ、オーケストラへの参加は叶いませんでした。当時のクラシック界では、まだ人種差別の壁が厚かったようです。チコ・ハミルトン・グループを皮切りに、ジャズの世界に入ったロン・カーターは、1963年、26歳で、マイルス・デイビスに見いだされ、彼のクインテットに参加します。23歳のハービー・ハンコック、17歳のアンソニー・ウィリアムスと共に、マイルスの鉄壁のリズム・セクションを構成しました。ハービー・ハンコックによれば、ある日、突然、電話があり、「明日1時に俺の家に来い」とだけ言って切れます。名乗りもせず、家の住所も告げず。でも、その特徴的なしゃがれ声は、誰もが知っている帝王の声でした。恐らく、ロン・カーターも似たような呼び出しがあったのでしょう。
1964年、サックスが、ジョージ・コールマンからウェイン・ショーターに変わると、多くの名盤を生む、いわゆる黄金クインテットの時代を迎えます。ただ、私は、ジョージ・コールマン時代のマイルス・デイビス・クインテットも大好きです。世界中でコンサートを行い、吹きまくった時代です。マイルスとリズム・セクションが引き起こす化学反応がスリリングで、まさにモダン・ジャズの醍醐味を味わえます。リズム・セクションは、単にマイルスのアドリブに反応するだけでなく、互いに刺激しあうというインタープレイの極致を見せます。ロン・カーターは、後に、サイドマンとして多くのセッションに参加しますが、恐らく、この時代の経験が、ミスター・ベースことロン・カーターを形成したのだと思います。
1960年代も末になり、マイルスが、フュージョンへと移行し、いわゆるエレクトリック化すると、ロン・カーターは、クインテットを退団します。以降、様々なバンドに参加する傍ら、バロックやボッサノヴァにも傾倒するなど、多彩な活動を行ってきました。モダン・ジャズを代表するベーシストとして人気は高く、大学での教鞭もとっています。何度も日本公演を行っていますが、2021年には、音楽文化発展に功績があったとして旭日小綬章が贈られています。(写真出典:cdjournal.com)